誹謗中傷や虚偽・捏造に満ちた主張と証言 「鈴木義彦」の偽証の全貌(2)

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香港で西が薬物入りのワインを飲まされ殺されかけた事件についても、鈴木は、西の事件でインターポール経由で刑事が会社に来たことをA氏から聞かされたと言っているが、A氏が言ったのは西の関係する警視庁OB(元警視正)がA氏の所に来て、インターポールが動くようなことを西から聞いたと言っていたという話で、全く違う話を前提にして「余りに突拍子もない話に言葉を失った」とか、鈴木が独り占めにしている利益の分配をするのを嫌い、西の排除に及んだというA氏の話を聞いて「私は作り話とはいえ、空恐ろしさを感じ、『全くの作り話でとんでもないことだ』と声を荒げた」等と言い、それで西を同席させ真相を究明するとまで言及したことから、3日後の10月16日に改めて西を交えた協議の場を設けることになった。

(写真:鈴木義彦)

鈴木は、この時、西が殺されかけて病院にいたら来られる訳は無いし、全くの作り話だから、西も当日は来られる訳がないと思っていたようだ。しかし、西を同席させ、真相を確かめると強く要請したのは鈴木自身だった。明らかに矛盾している。
なお、陳述書にはA氏が「すでに海外の鈴木さんの関係者、資産、銀行口座等も把握していて、すぐにでも凍結されるのではないか」と言ったと記されているが、A氏はこんな話はしておらず、これも全くの作り話だ。こうした作り話が陳述書の随所に見られるが、いかにもA氏が鈴木が不安になり恐怖を感じるような言葉を執拗に並べ立てて鈴木を追い詰めようとしている、と思わせる記述が創作され随所にちりばめられているのだ。しかし、和解時には香港事件の話は数時間に及ぶ協議の中で10分にも満たないくらいだった。

(写真:鈴木の陳述書(乙58号証))

この陳述書で鈴木は、西が鈴木を殺人犯に仕立てるような作り話をする大嘘つきであることを強調し、あるいはA氏から見せられた合意書に対して「憶えていない」とかA氏から借り受けた巨額の債務の話まで持ち出しながら「全くもう関係ない物」という点もことさらに強調したが、鈴木が覚えていない訳がない。そもそも合意書が作成されたのは、鈴木が一人熱弁を振るってA氏を説得し、株取引での買い支え資金を継続的に出してもらうことになったからである。さらに宝林株で予想外の利益が出始めると、西にしつこく何回も合意書の破棄を迫ったことは西の遺書にも書かれている。それは、裁判で鈴木が和解書に署名指印していても未だシラを切って無効を主張するに当たり、A氏と西から強迫を受け、また香港事件で犯罪者にされそうになって恐怖を感じたと被害者を装い、自分が稼いだ金を横取りされる可能性から公序良俗に反しているという、和解書無効を主張するうえでの3つの根拠が正当であると裁判官たちに印象付ける狙いがあったと考えられる。鈴木は株取引の最初の銘柄となった宝林株の仕手戦で、合意書を交わした平成11年7月8日からわずか数週間で約50億円前後の利益を上げたことから、同月の7月30日に西が15億円をA氏の会社に持参していた事実を全く無視していた。しかも合意書を作成するに当たっては、鈴木が一人熱弁を振るってA氏を説得し、買い支え資金を継続的に出してもらう約束を取り付けたことさえ一言も触れていない。こうした陳述書の内容からして、平林が鈴木を正当化させるために苦心して作文したという真相が見えてくるのだ。合意書には株取引の対象について「今後一切の株取引」という文言が明記されていた。鈴木は後述の和解協議で合意書に基いた株取引は宝林株だけと言い、また裁判では投資コンサルタントを自称して株取引で30億円から50億円の所得を得たと主張したが、仮に鈴木にその事実があったとしても、合意書に基づき鈴木はA氏や西に当該株取引についても報告する義務があったことになる。しかし、和解協議にまで至ってもなお、鈴木がそれらを報告し明らかにした事実はない。
西がA氏に分配金として15億円を持参した際に、A氏が心遣いで西と鈴木に5000万円ずつを渡し、翌日に西と鈴木がA氏の会社を訪ね、A氏に礼を言ったことさえ鈴木は「憶えていない」とでもいう積りなのか。返済金であれば、このようなことをするはずはない。
ちなみに、親和銀行と山内興産に支払った和解金約21億円についても、鈴木は裁判で自身の身分を投資コンサルタントと偽り、親和銀行への和解金約17億円、山内興産への和解金約4億円の総額約21億円は、その事業で稼いだ自己資金だと主張した。しかし、もとより鈴木は親和銀行と和解した当時は債権者から逃れるために愛人宅に隠れ潜んでいたばかりか、10日で1割の金利でも貸してくれる所もなかったから、21億円もの資金を自己資産として有しているはずがない。他方、鈴木が上記各和解金を支払った当時は保釈中の身で身動きが取れず、対外的には誰とも接触せず債権者からも逃げ回っていたくらいだったので、他者からの借入等による調達もなし得なかった。鈴木はこの時期、密かに合意書に基く株取引を実行していたことが分かっており、この21億円という巨額の資金は株取引の利益から拠出されたものであった。

そして、和解協議のあった10月16日である。
鈴木は、来るはずがないと思っていた西が先に来ていて、応接セットに座っているのを見て、意外に思ったと言うが、自身にかけられた嫌疑を晴らすために真偽を確かめなければ収まらないと言ったのは鈴木自身である。その結果、改めて協議の場を持ち、そこに西を同席させることになったわけだが、肝心なことは合意書が鈴木の意に反して現に存在しており、それが有効に働いてそれまでの7年間に鈴木と西が数多くの銘柄で仕手戦を演じ総額で470億円もの利益を上げたという事実を鈴木が認めるか認めないか、ということだった。この時点では、西も470億円という利益について明確にしていなかった。
しかし、鈴木が陳述書で優先して述べているのは、香港での西の事件を材料にA氏と西が鈴木をトコトン追い詰めようと謀り、鈴木に言わせれば、もちろん合意書にも、A氏と西にも関係ない株取引で儲けた利益をA氏と西に脅され吐き出させられそうになった被害者なのだということを強調することだった。
応接セットのテーブルの上にテープが30~40本の他に資料とレポートが山積みになっていたとか、協議のさ中でA氏が怒りを露にして西にライター(鈴木は灰皿と書いている)を西の膝にぶつけ、西が痛みで床に蹲りながらも「すいません、すいません」と、ひたすらA氏に謝っている姿を細かく描写しているが、テープや資料などが山積みされていたというのは嘘で、西が土下座して謝ったというのも鈴木のとんでもない誇張だった。こうしたことを書き連ねることで、非常に険悪な状況に身を置かされているとする鈴木の立場を演出する効果を狙っているように思われる。
A氏が傍にあったライター(灰皿ではない)を西に投げつけたのは、信用していた西が鈴木の誘いに乗ってA氏を裏切っていた事実が判明したのだから、思い余った故の成り行きだったに過ぎないとも言える。A氏にしてみれば、総額で207億円もの買い支え資金を何年にもわたって継続的に出させておいて、鈴木と西が好き放題に利益を貪って来たに違いないと思えば、誰だって怒りは収まらない。A氏が株取引のために出した金は全てがA氏の金ではなく、A氏が借りた分も含まれていて、西がA氏には無断で借りた先に西が金利交渉に行っていたことが後日判明している。西が合意書破棄の約束と引き換えに鈴木から10億円もの大金を受け取ったり、A氏を外して鈴木と西の2人で利益分配の密約を交わしていた等の事実は、その時点でもA氏には明確に分かっていた訳ではないが、逆に知っていれば、ライターを投げつけるくらいで済まされるものではないほどA氏を裏切り、騙し続けてきたのである。鈴木はそのために西に利益の一部の金を渡してコントロールしていた。多い時には一度に30億円ももらったと西の遺書に書かれている。

(写真:紀井氏作成の確認書。鈴木が株取引で上げた利益の明細)

とはいえ、西の裏切りは許せるものではないが、鈴木のあくどさは西の比ではなかった。宝林株取引で出た利益に目がくらみ、鈴木は利益を海外へ流出させて隠匿する一方で、A氏との距離を意図的に置いて接触を避け、西には「鈴木は都心のマンションの1DKで頑張っている」とか「今は海外に出ていて、日本にはいません」などといい加減な報告をさせ、A氏と接触しないようにしていた鈴木に西も協力していた。
当然、株取引の実情はA氏の耳には入らず、西が香港で殺されかけた事を知って初めて株取引の真相が見えて来たに違いない。鈴木は、3日前の10月13日にA氏と会って話した内容から、シラを切り通そうと決めていたに違いない。
陳述書によれば、A氏が西から資料を見せられ、鈴木の株取引の関係を知っている人間が証言しているテープを聞いたと言い、鈴木が385億円もの利益を上げているではないかと鈴木に詰め寄ると、鈴木は「仮に私がいくら稼ごうが損をしようが、関係ないでしょう」と言ってかわそうとしたが、A氏がさらに「いや、合意書があるのを忘れてもらっては困る」と言うと、「合意書なんて全く関係ないし、何か3人で株の話をしたり、合意書に基いて何かを実行したことがあるのか。今頃、何年も経ってトンでもないことを言わないでくれ」と答えたと経緯を語っているが、実際には自分の都合のいいように話を作っている。和解協議の模様は録音されていて、法廷にも証拠として提出されたが、鈴木が語ったのは、
「それはね社長、俺もよく思い出したけど、あれはジャス(宝林)のときに、株をやるから西が持ってって、金を。ね、それでもう全部、精算ついてる話でしょあれは?」
というもので、鈴木が述べたようなやり取りはいくつかの場面を都合のいい所だけを切り取ってつぎはぎしたようなものだった。鈴木は「清算ついている」というが、それは7月30日に西が持参した15億円を3等分した1回のみだった。それで何が清算と言えるのか。また、鈴木は「ジャスんところに社長が金を出して、それを運用して儲かったのを3等分しましょうと、合意書はそうですよね、うん、それがあれでしょ。それ以降今さら、社長、それだとすると恐喝ですよ、それ」とも言って完全に開き直った格好となったが、協議の直前に西が紀井氏に会い、株取引の実態を明らかにした事実を知るや、鈴木は急に態度を軟化させ、A氏には別途20億円を支払うと急に言い出したが、実際には株取引の利益が50億円あると言い、途中で60億円と言い換えたが、それをA氏と西にそれぞれ25億円ずつ支払うと言ったことから西が用意していた和解書の作成となったが、「こんな金額では社長が借りている分にもならない」と言うと、A氏には別途で2年以内に20億円を支払うと鈴木は約束したので、西は「それも和解書に書け」と言ったが、鈴木が「お前の言い方が悪いから書かないが、社長、信用してください」と言うので、A氏は了解して協議を終えることになった。
株取引の利益の総額は約470億円であると紀井氏が証言しており、それを聞いていた西は鈴木の言う50億円とか60億円にはとても承服できないと言っていたが、A氏から諌められたことで、渋々ながら和解書に署名指印したが「これは、あくまで利益が60億円であることが前提だからな」と西は鈴木に釘を刺した。
鈴木はA氏の会社を出た直後、紀井氏に電話して「100億以内で済んだ。香港の金はバレていないだろうか」と言ったと、紀井氏が証言しているが、もちろん陳述書には一言も触れていない。全く金がなく、借金だらけの人間が、どうしていくつもの銘柄を買う資金があったというのか。合意書を作成してから、A氏が西の言うままに金を出した成果以外にあるはずがない。宝林株取得の3億円もA氏が出したのに、鈴木はこの金の出所について主張を三転四転もさせたが、最後にはA氏が出したと認めた。

和解協議後の場面でも、鈴木は西が紀井氏と組んで社長を加えて自分を陥れたことに確信を持ったと強調して、それをさらに確かめるために10月23日にA氏の会社を訪ねたと述べている。香港で殺されかけた事件について和解協議の場ではわずかに10分弱程度しか話題にならなかったが、その中で西が「自分には思う所があるので、自分の事としてやります」と言い、鈴木が慌てて「ちょっと、それ、どういうことよ?」と西に確認を求めようとしたが、西はそれ以上具体的な話をしなかった。西は事件を捜査している香港警察に任せ、それよりも合意書の約束を実行することの方が重要だと何度も鈴木に強調した。しかし、鈴木にはそのことが気になっていたのではないか。それで、あえてA氏の会社を訪ね、西が大うそつきで香港事件をでっち上げたと強調したかったのかも知れない。鈴木はA氏に和解書で約束した支払について、海外に口座を作れないかとか、1回に日本に持ち込める金は5億円が限度などとかなり具体的な話をしているが、陳述書ではA氏に支払方法を聞かれ仕方なく答えたと述べている。和解時に、鈴木は「金を持参する直前に電話をするので、誰にも一切言わないで欲しい。1か月に10億ずつ持参するので、領収書を書いて欲しい」と言っていた。

(写真:鈴木の陳述書「質問と回答書」(乙59号証))

長谷川は、犯罪疑惑にまみれた鈴木が、A氏により提起された訴訟に負けでもしたら、警察・検察や国税当局から追われる重大な問題になると考え、どんな手を使ってでも勝たなければならないと必死になったのは明らかだ。しかし、だからと言って、全ての主張や証言で噓を並べ立てたり、A氏を極端に誹謗中傷することで自分を正当化しようとするやり方が法廷という公の場で許されていいはずがない。
ところが、それを度が過ぎるほどに実践したのが長谷川だった。鈴木の虚偽主張には際限がなく、「質問と回答書」(乙59号証)という陳述書についても、長谷川が骨子を組み立て、長谷川が質問し鈴木が答えるという形式になっているが、これが全編にわたってデタラメ、それも平成14年3月頃にA氏に呼び出され、債務の二重返済を迫られたというなら、何日の何時にどこで会ったかを説明する義務がある。それを単に「3月頃」と曖昧な表現にして、よくこんな作り話ができるものだ。長谷川は弁護士としては最低というより本当に極悪人であるとしか言いようがない。第一、A氏は鈴木の電話番号を知らないからかけようがなく、特に平成14年3月は西が志村化工株の相場操縦事件で東京地検特捜部に逮捕された直後の時期だっただけに、本当に会っていたとすれば、鈴木と西が一緒に取り組んだ株取引の詳細について、当事者である鈴木に尋ねたいことがA氏には多くあったはずだが、そのカケラすら乙59号証にはなかったのである。会ってもいないのに会ったと平気でここまでのウソをつく人間は他にはいないと思われる。この陳述書に記されているのはA氏が反社会的勢力と密接な関係にあるという度の過ぎた誹謗中傷であり、それによって債務の二重払いに応じなければ、自分だけでなく家族にまで危害が及ぶという危機感と恐怖を感じたとした。しかもA氏と反社との関係ついては、西がその真相を明かしていると断定して、それを根拠にしているが、西が自殺して証言台には立てないことを長谷川弁護士は見据えて好き勝手放題の陳述を組み立てたのである。長谷川の戦術はあまりにも醜悪で弁護士にあるまじき悪質であり、西の自殺を利用する、まさに死者に対する冒涜に他ならなかった。A氏が平林と杉原の両弁護士に対して懲戒請求をかけているが、平林弁護士は答弁書で「乙59号証については長谷川弁護士によるもので関知しない」と答えているが、鈴木の代理人として裁判全体に関わった責任を自覚してもなお乙59号証の作成には関わっていないと強調するほど内容が醜悪である、というより会ってもいないのに会ったような全く架空の話を構築していることは平林も当然分かっていたはずだ。そうした長谷川の戦術に乗った鈴木も長谷川以上に悪質だ。金銭的に追い詰められた状況を誰一人として救ってくれない時に、A氏に何から何まで助けられながら、少しも恩義を感じないという人間はいない。仮に長谷川がこの陳述書を証拠として出さなければ裁判に負けると言ったとしても、配慮すべきだったのではないか。恩を仇で返す人間は極悪人としか言えない。しかし、鈴木は長谷川に完全に同調して、この陳述書に書かれた内容を証人尋問の場でも平然と繰り返して証言したのである。平成14年3月に会ったというのは、それまでにもそんな話は無かった。A氏は一切会っていないので、100%作り話である。本当であれば、今までに提出されているはずで、全くの虚偽である。
合意書に基いた株取引で、鈴木は上がった利益を一元的に管理することで独り占めにする計画を進めた。そのために自分は裏方に回るようなそぶりを見せて西を前面に出し、A氏との接触も意図的に避け、いざとなれば利益は全部自分が稼いだもので、A氏にも西にも関係ないとする布石を打ったのだ。西を裏切らせ、合意書の破棄を執拗に迫ったのもそのためだった。西も鈴木からもらう目先の金に転び、完全に鈴木にコントロールされてしまった。揚げ句には香港で殺されかけ、その後日本に帰国してからは、青田ほかの尾行続き、人生の大恩人への裏切りに耐えかねて自殺する羽目に陥った。そうした経緯を見れば、鈴木は西の悪さを何十倍も上回るあくどさと冷酷さを持った人間であることが分かる。(以下次号)

2023.05.28
     

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