隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(5)

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A氏が鈴木と会い「合意書」を提示して詰問してから3日後の2006年(平成18年)10月16日、A氏の会社に鈴木と西が集まった。この日の話し合いは最初から剣呑な空気が漂う中で始まった。鈴木と西は初めから激しい言葉でお互いを罵倒し合い、話し合いが進展する気配が見えなかった。それを見かねたA氏は「外の喫茶店へでも行って2人共頭を冷やして来い。これでは話し合いが出来ない」と激怒したほどだった。鈴木と西は口論を止め黙り込んでしまった。しばらくしてA氏が口火を切り、漸く株取引の利益金の話になった。この話し合いは、鈴木が一応は「合意書」を認めた事から始まった証でもあった。鈴木は、合意書に基いた株取引が実行されたのは宝林株だけで、その清算は済んでいるはずだと主張し、その後の株取引があったとしても、それは合意書とは関係ないとまで言った。それでも、多くの銘柄を仕掛けて巨額の利益が出ている事実を鈴木の側近が暴露しているという話を西がすると、鈴木は慌て、「誰が言っているのか」と執拗に名前を言うように迫った。当初は拒んでいた西もA氏に促され、ようやく紀井氏の名前を出すと、鈴木の態度が軟化し始め、最後には利益が50億円だと言い出したが、すぐに60億円に訂正し、A氏と西に25億円ずつ、合計50億円を支払うと言った。

(写真:和解書)

そして、西が事前に用意していた「和解書」の金額欄に50億円と書き署名指印したのだった。すると、西が「それでは社長が他から借りている金の返済金にもならない」と言うと、鈴木はA氏に向かい、「西の言い方が気に入らないので、和解書には書きませんが、社長には別に2年以内に20億円を支払います。社長、信じて下さい」と言った。西から利益額が巨額であることを聞いていなかったA氏は一先ず鈴木の言葉を信じ承諾した。しかし西は、前日に紀井氏から鈴木が470億円もの利益を獲得していることを聞いていた為、25億円ずつの配当には激しく抵抗した。A氏も60億円の利益金に対して自分と西に合計50億円の配当金を支払うと約束した鈴木を不審に思ったが「鈴木自らが言っている事だから」と思い、特に異論を挟まなかったようだ。鈴木と西は、またもや激しい口論を始めた。西はこの時に何故470億円の話をしなかったのか。また3人がこの場で「合意書」に記載されている経費(買支え資金を含む)の処理については全く話をしなかったのか、A氏にとっては大いに悔やまれることではなかっただろうか。後日に判明する事だが、この時点でA氏が援助した買支え資金のうち最低でも約58億円の損失が出ていた。鈴木が言う60億円の利益には58億円が加味されていない。利益配当金に協議が集中していて大切な確認事項が抜け落ちていたのだった。これも鈴木と西の思惑だったのではないだろうか。この事が後々の鈴木の利益隠匿を膨大にさせることになるのだが、この時、A氏は鈴木を疑いもしなかった。それは、鈴木が「社長には大変お世話になったので2年後には別途20億円を支払います。西の言い方が気に入らないので和解書には書きませんが、私を信じて下さい」と言い切った為でもあったのではないか。鈴木はA氏との話し合いの中に必ずA氏が安堵するような言葉を仕込んでいた。そして西は香港事件についても深く言及していない。それにも拘わらず、鈴木は、「香港事件の犯人に仕立て上げられそうになり恐怖を感じ、心にもない約束をさせられた」と裁判で主張し、裁判所は鈴木の「心裡留保」を支持したのであった。この日の「和解協議」は鈴木と西の共謀であってA氏をひとまず安心させるためのものであったように思う。鈴木は和解協議後、A氏の様子を見るように珍しく自分から電話してきたり、A氏の会社に訪れて具体的に配当金支払について打ち合わせをするように装い、経費(買支え資金)についてワザと西に確認しをしてもらい、「その分は利益金から差し引かなければならないですね」と言いながら何の対処もしていない。鈴木と西は、協議の日までの3日間にどの様な策略を練ったのだろうか。これは想像の域を超えないが、鈴木は、見せかけの和解書を作成するだけで配当金の支払いを履行する気は毛頭なく、西もそれを承知したうえで激論を交わす振りをしながら、またしても自分達だけの分け前を密約で交わしていたのではないだろうか。そして悪知恵の働く大悪人の鈴木は、香港事件の事もあってそろそろ西も排除しようと考えていたと思う。利益金の独り占めを狙う鈴木にとって全ての秘密を知っている西は最大の邪魔者だった。鈴木が「和解協議」の約1ヶ月後にA氏に宛てた「和解協議白紙撤回」の手紙の内容が西を排除しようとする鈴木の意図を明確に表している。和解協議後の西の動向は不明だが、鈴木のA 氏に宛てた1回目の手紙には「西と紀井の裏切りによって日本に居られなくなった。西が同席した話し合いは全て白紙に戻す」といった事が書かれている。そしてA氏には「利益配当金については支払方法も含めて再考してほしい」と書いている。この時点での鈴木の手紙には、A氏に対しては支払を履行する意思があるように書かれている。

(写真:A氏に宛てた鈴木の手紙。西を嘘つきと決めつけ、紀井氏を裏切り者と言って、和解書の支払約束を反故にする内容だった)

この手紙2通は、鈴木が「合意書」と「和解書」は自分が納得して署名押印したものであると白状した重要な証拠書類ではないだろうか。しかし、後日の裁判では裁判長である品田裁判官はこの手紙を一切支持せず、「合意書」は「合理性に欠ける」として無効にし、「和解書」は「心裡留保」によって無効とした。この判決は明らかな誤りであり不条理極まりない誤判であった。この誤審判決の経緯や結果については後の章で書く事にする。
話は戻るが、A氏に宛てた2回目の手紙に鈴木は、A氏と直接話し合いをすることを拒み、1通目の手紙と同様に平林という弁護士と青田という知人を代理人にする事を通知してきた。A氏は平林弁護士を通じて「直接の話し合いを希望する」旨を手紙に書いて通知したが、鈴木は聞く耳を持たなかった。そして、鈴木が平林弁護士と青田を代理人にした事で、この問題は解決への糸口を消してしまい、混迷させる結果となった。

鈴木と音信不通になった事でA氏は代理人の平林弁護士との話し合いをせざるを得なくなった。仕方なくA氏は以前から面識のあった知人を介して代理人を立て、平林と折衝を始めることにした。代理人はまず、鈴木の近辺を調査し、行方を追跡するとともに鈴木の実父と接触し、鈴木が如何にA氏から援助を受けていながら裏切り行為を続けているかを説明した。代理人は、実父に鈴木を説得させてA氏と直接話し合わせようとした。鈴木の実父は以前に鈴木の意向で、西の会社に籍を置き月額60万円の給与を受け取っていた事もあり、鈴木がA氏に莫大な資金の支援を受けていた事も知っていた。自分や鈴木の妹が住む高級マンションもA氏からの融資で購入出来た事も多分知っていたのではないだろうか。そんな事もあり、実父は代理人に協力的な姿勢を見せながら「息子は恩知らずの悪党」だと言っていたようだ。代理人は父親と度々会いながら説得を続けたが、鈴木からの連絡は途絶えたままだった。代理人はトラブルの折衝事にも慣れていて裏社会の情報網にも精通していたようで海千山千の男だった。A氏はそんな代理人にかなりの調査料を払っていたようだ。代理人はA氏からの高額な手数料を目当てにしていたようだが、徐々にそれなりの成果を上げていた。そんな代理人が自分の情報網を駆使して鈴木の住まいを探し当てたのだった。代理人は鈴木の住むマンションのメールボックスにメモを投函するなどして鈴木からの連絡を待っていたが、ある日、自分の地元でもある伊東市内のパチンコ店の駐車場で何者かに襲われ瀕死の重傷を負うという事件が起きた。代理人によると「相手には殺意が感じられた」と警察の事情聴取で述べている。代理人は近くの病院に運ばれ一命を取り留めた。地元警察は、2人の男を「殺人未遂犯」として逮捕した。地元新聞によると犯人は関東最大の暴力団組織の稲川会系列の習志野一家の下部組織に属するヤクザだった。A氏の周囲の関係者たちが習志野一家について情報を収集した結果、鈴木の友人で鈴木の代理人だった青田と習志野一家のNo.2の楠野伸夫との繋がりが判明した。
これが何を意味するかは誰が考えても分かる事だ。この実行犯の背後関係を調べることで、青田、そして鈴木の関係も明らかになる筈であった。
しかし、事件発生直後、実行犯が所属していた組織の組長が入院中の代理人を見舞いつつ、「事件の黒幕を必ず明らかにして報告するから、何とか告訴を取り下げて欲しい」と示談を申し入れた。この面談は病院の病室で行われたために、これ以外の条件提示は代理人以外は知る由もない。代理人はA氏に一応の報告はしたが、独断で組長の示談申し入れに応じてしまった。おそらく組長から金銭的な話もあった事は想像できる。A氏は代理人の報告を聞き、鈴木を追い詰められるものだと期待しただろう。しかし、この組長はその後に別件で逮捕され収監されてしまった為に、代理人との示談で約束した事は反故にされる結果となった。代理人と組長の示談話の内容はそれ以上は不明だが、組長が別件で逮捕されることは予め決まっていた事ではないだろうか。そして、代理人が高額な示談金を受領したのも事実と思われる。示談が成立した為に警察が不介入となった事で「代理人殺人未遂事件」は闇の中に葬られた。

(写真:平林英昭弁護士。代理人襲撃事件の実行犯が所属する暴力団総長と複数回面談するなど、弁護士の倫理規定に反した言動を繰り返した)

ところが、この間に鈴木の代理人だった平林弁護士が習志野一家の総長と複数回面談していた事がA氏の周囲の関係者たちの調査で判明した。弁護士が暴力団組織の総長と面談する事など常識では考えられない。しかもA氏の代理人が襲われた時期にというタイミングは見逃せない。おそらく口止め依頼とそれに見合う謝礼金の交渉をしていたものと思われる。ただし、この事件は、A氏と鈴木の訴訟とは別件だったために、裁判では度外視されたが、鈴木の背後関係と人間性を知るには多いに参考になる事件だった。品田裁判長はこの事件に対して無視を貫き、鈴木の正体を暴こうとしなかった事が鈴木という非道悪辣な人間を増長させることになった。品田裁判長にとっては職務の怠慢であり、「正義と平等を旨とする」裁判官としてあるまじき事だ。

このようにして鈴木がA氏を裏切って隠匿した資金を自分の身を守るための「示談金」や「謝礼金」として悪用する事は常套手段だった。西も知人も、自分の金銭欲の為にA氏を平気で裏切るという許しがたい人間と言えるだろう。
A氏が鈴木の代理人平林で弁護士の要請で面談した話に戻す。平林弁護士は最初の面談の席で「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか。それであれば、鈴木は直ぐにも払うと言っています」と無神経な感覚で和解を提案した。それを聞いたA氏は「この弁護士と話し合っても無駄ではないか。全く誠意が感じられないし問題の経緯を理解できていない」と感じたようだった。A氏は「私がどれだけの金額を鈴木に騙されているか解っているのですか。こんな金額では話にならない」と即答した。すると平林は面談を打ち切り、その後は全てを否定して鈴木を正当化するようになった。交渉は平成19年春先に始まったが、直接会って協議をするのではなく、書面でのやり取りに終始したが、平林は最後には「それでは調停にかけるしかないですね」と言ったことから、A氏が調停の申請を進めたにもかかわらず、平林は調停が行われる日時に遅刻したり欠席したりで調停が流れてしまうという体たらくを冒している。これも予定の行動だったのだろう。平林弁護士に幻滅したA氏は、このままでは「埒が明かない」と考え、2015年(平成27年)7月8日に東京地方裁判所へ「貸金返還請求」の訴訟を提起した。この時、和解協議から9年の歳月が流れていた。A氏と鈴木の問題は法廷の場で決着をつけることになった。(以下次号)

2023.06.15
     

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