隠匿資産1000億円超への悪牧欲望(8)

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インターネットニュース数社の記事による鈴木義彦の「1000億円の隠匿事件」を読んでどうしても気になる部分がある。それは「株式投資がそんなに儲かるものなのか」という事である。いかに資金があっても株式相場は「魔物」と言われるように必ず儲かるものではない。それにもかかわらず鈴木が仕掛けた銘柄の殆どが多額な利益を生み出している。A氏からの「買支え資金援助」というバックボーンがあったとしても「生き馬の目を抜く業界」と言われる証券業界で損失も出さずに生き残るには、誰もが考えつかないような手法があったのではないだろうか。鈴木がA氏に「私は、株式投資ではここ数年で20~30億円の授業料を払ってきた。株式投資には自信があります。」と言ってA氏から「買支え資金」を拠出させることに成功したが、それがA氏を騙すための詭弁であったことは、この事件の経緯と結果を見れば明らかだ。

(写真:鈴木義彦)

鈴木が親和銀行事件で逮捕されたのは1999年5月末であった。それより約2年前の1997年7月、証券業界で未曾有の大事件が勃発している。それは当時、日本4大証券会社の一角にあった山一證券の「自主廃業事件」だ。山一證券は世界同時株安以降、数年にわたり香港、シンガポールを始めとした海外各地の支店を拠点に、関連会社そして実体のないダミー会社を経由して「飛ばし」という手法で自社の損失を隠蔽していた。「飛ばし」とは、株取引で発生した損失を決算前に関連会社やダミー会社に付け替えて粉飾決算を行い、損失を隠蔽する行為である。また、山一證券は顧客離れを防ぐために「握り」という方法で売り上げを上げていたという。「握り」とは顧客の損失を補填する約定を交わす事である。この頃の証券業界は山一證券だけではなく野村證券、大和証券、日興証券の4大証券の全てが同様の事をしていた事が当時の新聞やテレビ等で報道されている。山一證券は一般個人顧客より法人顧客に重きを置き、大企業や大物政治家、大物総会屋に損失補填をしていた。当時の新聞によると山一證券の実質損失は自主廃業時には2800億円に達していたとみられる。一般個人投資家から「取り付け騒ぎ」が起るのも当然の現象であった。山一證券の自主廃業は国内だけでなく世界中を驚愕させた。鈴木はこの山一證券による「飛ばし」を参考にした、というより損失の隠蔽工作の渦中で工作に関わった茂庭進を引き入れることによって、「飛ばし」のノウハウを取り込んだのは明らかだった。
鈴木は株式投資のノウハウについては知識があったが、証券会社の実務の経験は無かった。そこで宝林株を売却するにあたって、旧知で現役の証券マンであった紀井氏を「儲け折半」という破格の条件でスカウトした。紀井氏は鈴木の証券業界での評判の悪さは知っていたが、他の証券マンと同様に金銭欲は旺盛だったために鈴木の甘言に乗ったと思われる。そして、山一證券事件も同じ業界の人間として承知していた筈だ。鈴木の狡猾なところは紀井氏にA氏との関係や株式取引に関する「合意書」の存在は話さなかった。紀井氏は、鈴木が仕込んだ株式の売却を任されていたために鈴木が調達した銘柄を全て把握していて、売却時の利益金の全ても知る立場にあった。ところが、紀井氏は西から香港で襲われたことを聞き、鈴木の性格からすれば「余りにも鈴木の秘密を知ってしまったために自分の身にも危険が及ぶ」という恐怖を覚え、鈴木との決別を実行したほどだった。一方で、鈴木は茂庭進という証券マンもスカウトし、スタッフに加えていた。前述したように、茂庭は元山一證券の海外拠点で幹部社員として籍を置き、山一證券の自主廃業まで海外取引を担当していた人間であった。

(写真:念書)

鈴木は、短期間にA氏から合計約28億円の資金援助を受け、不渡り寸前のFR社の約束手形を高利な金融会社から回収した。そして親和銀行事件で逮捕される3日前にA氏から現金8000万円と販売委託としてピンクダイヤとボナールの絵画を借り出し、一部を現金化していた(絵画はA氏に言い値の1億3000万円で買って貰いながら一度も持参しなかった)。これは、逮捕されることを知っていた鈴木が拘留中にA氏以外の債権者からの催促を逃れるための資金繰りだったことが窺える。逮捕、拘留中の鈴木は債権者からの催促を逃れ、社会にいるよりもゆっくりとした時間が過ごせたはずだ。鈴木には出所後の事を考える時間は充分あったと考えられる。鈴木は社会に復帰したら「株で一発当てる」手立てを考えていた。そして保釈後に西が宝林株800万株の買収話を持ちかけられるや、すかさず海外投資会社を偽装するダミー会社を3社用意するとともに、紀井と茂庭をスカウトすることで利益独占の準備を整えた。利益を無難に海外流出させるノウハウを実行させるには、山一證券での茂庭のノウハウがうってつけであり、そのうえで西と謀って性懲りもなくA氏に資金支援をさせて罠に嵌めることを計画したのだった。
鈴木は逮捕後、約半年で保釈された。そして、西との共謀によって宝林株購入資金3億円をA氏に援助させることに成功したことで、 利益独占を現実化させる準備が整ったのだった。鈴木にとって計画を実現するためには茂庭の存在は喉から手が出るほど欲しい人材であった。鈴木が茂庭にどのような条件を提示してスカウトしたかは定かではないが、紀井とほぼ同様か少なめの条件を約束していたのではないだろうか。
A氏には内緒にして紀井と茂庭をスタッフに加えた鈴木は、A氏の資金を利用して自分が描く株式投資を開始した。山一證券は「損失隠し」のために「飛ばし」を繰り返し自ら破綻したが、鈴木は「利益隠し」のために海外にペーパーカンパニーを設立し、売買利益はそれらのペーパーカンパニー名義で海外に違法送金している。鈴木は山一證券のノウハウを参考にして「利益金の飛ばし」をしていたに違いない。茂庭は山一の海外支店の幹部社員としてノウハウの全てに精通していたと思われる。鈴木にとっては強力な助っ人の役目を果たしていたと思われる。さらにもう一人、鈴木には強い味方がいた。その人物はファンドマネージャーをしていて、後に他の投資でトラブルを招いたクライアントに妻ともども殺害された霜見誠だ。霜見は鈴木が相場操作をして莫大な利益を得たFR社相場に参入していて、鈴木と知り合ったことで自身も「人生を変えるほど」の大きな利益を得た人間だった。霜見も職業柄ファンドの組成やタックスヘイヴン地域の事情には精通していた。鈴木は霜見の協力でスイスの隣国リヒテンシュタインにジャパンオポチュニティファンド(JOF)という投資会社を設立し、霜見をファンドマネージャーに据えて、A氏を裏切って隠匿していた利益約300億円の運用を任せた。このJOFの役員には鈴木の名前は無かったが、証券業界では鈴木が実質のオーナーだと言われていたようだ。霜見は鈴木の指示でクロニクル(FR社が社名変更した法人)の株を大量に購入し、JOFはクロニクルの大株主になった。霜見が鈴木の指示でクロニクルの株式に関与している事は当時のクロニクルの代表取締役(会長)で後に不審な死を遂げた天野裕(FR社の元常務)も承知していた。クロニクルの株式は第三者割当増資による新株発行とユーロ債の発行という、FR社と同様のインサイダーまがいの手法で株価を上げて行った。霜見は鈴木の指示で一部の株を残して高値でクロニクル株を売却し、売却益を海外のプライベートバンクに送金していた。このプライベートバンクについては、霜見が検察庁から別件で事情聴取を受ける予定だったとみられるが、検察庁に出頭する数日前に夫婦揃って投宿先のホテルから消息を断ち、その後に夫妻共々殺害された。ただし、JOFがクロニクルの増資以降にどのような動きをしたのか、その情報はなないまま鈴木が自然消滅させた可能性はある。また、クロニクルは2013年の中間決算の監査で「過去の不適切な会計処理」が発覚し、同年の7月17日付でジャスダック市場で上場廃止に追い込まれてしまった。鈴木が創業者だったFR社も、その後は天野が会長として指揮を執っていたクロニクルも毒牙にかけ、鈴木だけが莫大な利益を得ておきながら、会社を守って来た役員や社員、そしてその家族を不幸にしてしまったのだ。鈴木は血も涙もない、非情極まりない悪党だったのだ。

鈴木は、山一證券の手法を参考にしながら「利益金の飛ばし」を行い、プライベートバンクでの運用で1000億円を優に超えるとみわれる資金を隠匿している。しかし、忘れてならないのは茂庭という存在ではないだろうか。合意書に基づいた株取引を行っていた当時は、鈴木がA氏を裏切って隠匿していた利益金を海外のプライベートバンクのペーパーカンパニー名義の口座に送金をしていて隠匿資金の管理もしていたようだ。茂庭は鈴木の全てを知っている。いや知っていると言うよりも鈴木が海外にダミー会社を多数所有し、利益金を分散しながら「利益金の飛ばし」をして莫大な資産を隠匿する事に成功できたのは茂庭のアドバイスがあったからではないかと思われる。しかし、茂庭は何時しか姿を消し、紀井のように裁判所に証人として出頭する事もなく、鈴木の完全な黒子として動いてきた。考えすぎかもしれないが、茂庭の安否さえも心配になってくるほどだ。何故ならば、鈴木の周囲では以前から不可解な自殺や不審死が頻繁に起こっているからだ。鈴木の秘密を知っていた西、天野、大石(FRの元専務)そして霜見など、彼らの死には鈴木が関与していたという指摘がある。これらの事件は全て金銭トラブルが原因だった。そうみれば、茂庭の生存が確認されて協力が得られたならば、この事件は大逆転し、鈴木が世間の注目を浴びる日が必ず来るに違いないとさえ思われる。

鈴木はA氏との裁判で、借入金については品田裁判長の考えられない偏見と一方的な判断で25億円は返済した事になったが、これは株式投資で上げた利益金の流用であって、A氏への返済金ではなかった。しかも、品田裁判長は株取引についてA氏と西、鈴木の3者で交わした合意書と和解書を無効にしてしまい一切認めなかった。鈴木は利益分配を真面に実行せず、「自分の力量で稼いだもので合意書は関係ない」と主張している。しかし、A氏が融資した株式購入資金と買い支え資金の援助が無ければ鈴木の計画は成功しなかったことは誰が考えても分かる事だ。いくら鈴木が一般常識の通用しない人間だと言っても、余りにも自分勝手な所業だ。これは品田裁判長が「触らぬ神に祟りなし」とでも言うような、株式投資関連の主張や証言、そして証拠類を真面に審議も検証もせずにA氏側の主張を全て退けて、鈴木一辺倒の論理を貫いた為だった。品田裁判長の誤審誤判は重大な責任逃れだと言える。
宝林株に始まる20を超える銘柄の株取引で、鈴木が犯した詐欺横領、脱税、外為法違反等は全てが時効という法律の壁に阻まれて、鈴木を刑事事件で告訴告発するのは難しいかもしれない。A氏と鈴木の事件は2018年6月に下された誤判を再審で逆転判決を取るしかないと思われる。それには例えば茂庭のような新しい証人や証拠を裁判所に申請して再審請求を受理させるしかないだろう。そのためには、鈴木本人と茂庭の動静を見極めることも肝要だろう。鈴木の所在を見つけ出すことは並大抵の方法では難しいかもしれないが、それによって公の機関が動き出せば、品田裁判長や長谷川元弁護士等にも調査が及ぶ可能性が高いとみられる。
前章にも書いたように、この「誤審裁判」がなかなか社会問題に発展しないのは監督官庁の金融庁や警察庁、検察庁が黙過し、裁判所と弁護士会等の法曹界が協力して隠蔽しようとしているからだと断言できる。これを逆転するのは困難かもしれないが、監督官庁と法曹界の不祥事はこの問題に限らず、我々の知らないところで日常的に行われているのかもしれない。今は自分に関係ない事として無関心でいられるかも知れないが、いつ何時、自分や自分の親族に降りかかってくるかもしれないのだ。今現在もA氏と同じような被害者が多くいながら、裁判所や弁護士会の自己保身のせいで泣き寝入りさせられている可能性は高い。だからこそA氏と鈴木の問題は絶対に風化させてはならない。今後は、ネットニュースやYouTubeでの活発な情報提供はもちろんだが、鈴木本人と対決する方法を見出すことも重要ではないだろうか。(つづく)

2023.06.24
     

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