西義輝の命を縮めた鈴木義彦との出会い(3)

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宝林株での巨額の利益獲得で勢いづいた鈴木と西は「今後のM&Aの専門的な会社を作る必要がある」と考え、「ファーイーストアセットマネージメント」(FEAM社)を資本金5000万円で設立した。
「ユーロ債発行会社との交渉やコンサルタントが会社設立の目的」となったが、鈴木は実に横着な要求をいくつも西に申し出た。そのひとつが専用の車と給料の提供だったそうで「『FEAM社より専用の車と専属の運転手を用意して欲しい』と言い、さらに『収入があることを見せたいので給料を出して欲しい』とも言った」
鈴木は「関西のグループとの付き合いで、私に見栄も必要となって来るので、黒のベンツにしてください」とか「給料は社会保険付きで」などとも言ったというが、ベンツの購入代金が1400万円、専属の運転手の雇用では1999年9月から2000年12月までおよそ1200万円、他にもガソリン代や維持費等で250万円がかかり、給料に至っては2250万円を支払ったという。西は、なぜ鈴木の要求を呑んだのか?
だが、鈴木の要求はそれだけではなく、鈴木の愛人と鈴木の実父にそれぞれ50万円と60万円の給料を支払う約束をさせられ、それに伴う費用が約2000万円を要した。また、鈴木と同じく警視庁に逮捕されたエフアールの専務だった大石の妻に5000万円の貸付が発生した。「鈴木と大石は公判中でもあったため、鈴木から『大石の口を封じたい』という要請があった」
これらの支出は、鈴木が責任を持って利益を積み上げるという約束の下に西は実行したというが、鈴木からFEAM社への返還はなかった。結局、鈴木から宝林株での利益分配で西に30億円が支払われていたが、これまでに触れたように、宝林株のユーロ債発行手数料に1億2000万円とか鈴木及び鈴木の身内への給料等の支払に1億3000万円、さらに宝林株の市場買付分として4億4000万円などが支出されていて7億円前後が鈴木の関係で費消された計算になる。西は株価の買い支え資金をA氏から出してもらっていただけではなく、FEAM社の前記のような運転資金も全てA氏から出してもらっていた。
鈴木がどのような名目を使ったのかは詳しく書かれていないが、独り占めをするために海外に流出させ隠匿した利益を、鈴木は一切吐き出さなかった。

西が志村化工株に絡んだのは平成12年のことだったが、鈴木が、DTMパートナーズというファンドを兼ねた投資顧問会社を経営する武内一美を西に紹介したのがきっかけになったという。
「武内の経歴は、中央大学を卒業後、公認会計士の資格を取得してプライベートバンクのクレディリヨネ東京支店に勤務し、支店長を務めたこともある信頼できる人物だ、ということで紹介を受けた。その際、鈴木は『今後一緒に仕事をしてゆく仲間であるから、安心して付き合ってください。私が全て指示を出すので、武内と歩調を合わせてください』ということだった」
鈴木は志村化工株のユーロ債の発行を近々に発表すると言い、それに伴って株価が上昇するからと、一部個人での購入を勧められ、西は同年の2月から3月にかけて株価が230~250円台のときに5000万円から6000万円分を購入したという。
ところが、鈴木は志村化工のユーロ債の発行(約56億円 1株190円)を決定しており、その事実を西には言わずに「宝林には増資した資金が残っていると思うが、20億円をクレディリヨネに預けないか? 責任を持って運用させますから」と、宝林の経営陣を説得する役割を西に頼んだのだ。
「私は秘書の水野恵介に指示を出し、商品券約500万円分を安藤氏に渡し、宮崎氏には彼個人が株式投資で出した損失分の約700万円を肩代わりすることで、約1か月近くかけて説得した」といい、同年12月にシンガポールのクレディリヨネの支店に20億円を振り込んだ。運用期間は1~3年で、6ヶ月が経過すればキャンセルも可能となっていた。
「この20億円は、2000年2月に行われた志村化工のユーロ債(56億円/1株190円)の払い込み代金の一部として使われ、クレディリヨネのファンド運用という鈴木の話は全くの作り話だった。志村化工の株価は、わずか3ヶ月弱で1300円まで上昇し、大きな利益を出したことは事実だった」
さらに同年9月以降、鈴木が志村化工株を大量に買って欲しいと言って来た。「鈴木に『大丈夫ですか?』と尋ねると、『武内から志村のユーロ債で得た株券を大量にもらうから、一切心配は要らない』と頼んできた」
こうした鈴木のアプローチについては、西も後々になって分かったことだが、必ず何らかの事情が隠されていて、今回はユーロ債割当株の売却をするためであることは西にも想像がついたようだ。案の定、同年11月になると株価が暴落を始め、西は信用取引を活用していたことから、口座に多額の追加証拠金が発生したという。しかし、西には「鈴木から頼まれて購入した」という事情があったとして、「昭和ゴム100万株を鈴木より受け取り、追い証用の担保として差し入れ、解消させた」。
12月に再び鈴木から依頼が入り、「志村化工株の大量購入が可能な会社か人物を紹介して欲しい」という。そしてもしそれが不可能であれば、西の証券口座で志村化工株を取得できないか? という。そこで西は「野村證券出身の阪中氏を介してソフトバンクグループの北尾氏を紹介され、イートレード証券で志村化工株1000万株を信用取引にて購入する旨の了解を取った」という。西は、鈴木と武内から6ヶ月以内に買戻しをする旨の約定書を作成するという話を聞き、実際にも2001年の5月から7月にかけて約定書を預かることが出来たため、安心して株式の大量買付けを行っていたという。(以下次号)

2023.07.15
     

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