隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(4)

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(写真:鈴木義彦)

鈴木はA氏を裏切りながら多くの銘柄に投資をし、インサイダー同然の取引を繰り返して莫大な資金を隠匿していたが、そんな鈴木にも危機が訪れた。2001年(平成13年)6月頃に扱った志村化工株で証券取引等監視委員会(SEC)にマークされ、相場操縦容疑で東京地検特捜部の事情聴取を受ける事になった。この相場には鈴木の指示を受けて西も参加していた。地検特捜部は鈴木を首謀者と見越していたようで、鈴木を追い詰めるために周囲の関係者の家宅捜査や事情聴取を実施して証拠固めをしていた。西も地検特捜部に呼び出されて厳しい取り調べを受けていた。そんな最中で鈴木は西を訪れ「私の事は絶対喋らないでほしい。私を助けてくれたら今後、会長(西の事)の言う事は何でも聞く」と土下座して必死に頼んだ。西は、この頃には鈴木が莫大な売買利益を隠匿している事に気付いていたようだ。西は、鈴木が逮捕されると莫大な隠匿資金が没収され、全てが水の泡となってしまう事を恐れた。西も金欲にかけては鈴木に勝るとも劣らない考えを持っていた。西は鈴木の願いを聞く事で今まで好き放題して来た鈴木との関係を逆転できるチャンスが到来したと考えた。西は鈴木と綿密に打ち合わせをし、鈴木から「現状の売買利益金を山分けする」という密約をさせた。狡猾な鈴木は、自分の身を守るために一時逃れに過ぎない密約を西に同意させたのであった。西は特捜部の事情聴取で徹底的に鈴木を庇った。その結果、鈴木は逮捕を逃れ、西が罪を被った。西は懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けたのだった。鈴木との密約の中には西が逮捕、拘留されている期間の生活費や裁判費用等を全面的に鈴木が負担するという約束も含まれていたが、さすがに鈴木もその約束は守った。しかし、刑が確定して執行猶予の身となった西に、鈴木は「今後、資金を出すのは止めにしたい」と言い、西を切り捨てにかかった。それでも西は鈴木と面談を重ね、逮捕前に交わしていた密約の書面(英文)にある利益配当を執行猶予明けに履行するよう求めたようだが、その密約の書面が後のA氏と鈴木の裁判で証拠として法廷に提出されなかった。西の執行猶予が切れる数カ月前、西と鈴木は利益配当金の支払いについて具体的な打ち合わせをした。鈴木はこの頃には会長と呼んでいた西の事を「西さん」と呼ぶようになり、西と約束していた資金援助も実行しなくなっていた。鈴木の態度の変貌に西も驚いたが、大事な利益配当の約束を実行させるために我慢したのではないか。また鈴木は、西が面談の中でA氏への約束の事を言うと「Aと自分とは既に清算が済んでいる。Aが何か言ってきても自分には関係ない。後は西さんの方で処理してくれ」と平然と言っていた。このように間もなく執行猶予の満期を迎える西に対して鈴木の態度は冷酷さを増していた。そしてA氏に対しては感謝もせず、合意書に記載された事項を履行する気持など微塵もなかった。しかし、西との密約だけは実行されることになり、実行日は執行猶予明けの2006年(平成18年)10月2日、支払場所は香港、支払方法は銀行小切手、金額は43億円となった。利益総額の1/3に当たる残額は西が開設するプライベートバンクへ送金するという事で決定した。西はこの数日後に、何を思ったのかA氏に香港への同行を依頼している。A氏は「何のために」という事を知らずに同行を承諾したが、出発間際になって西からキャンセルの連絡が入った。この時の西の心理状態はどのようなものだったかは不明である。西は、息子の内河陽一郎を同行して香港に渡った。以下は西が語った香港での事件の概要である。
――香港に渡った直後に鈴木から「急用で行けなくなった。TAMという男に代行させるので連絡を取り合って取引を実行してほしい」という電話が入った。西は訝しく思ったが、TAMという男とは以前に会った事があったので鈴木の指示に従う事にした。
取引は1日延びて4日という事になり、西は一人で指定された場所に向かった。西はTAMから渡された書類にサインし、銀行小切手で合計43億円を受領した。無事取引が終了した後、TAMが「鈴木からのプレゼントです。乾杯しましょう」と言って高級ワインを出し、2人は乾杯した。ところが西はワインを飲んで数分後に意識不明になった。翌朝、ベイサイドの砂浜に瀕死の重傷を負わされて放置されていた。着衣は乱れ、受領した銀行小切手と携帯電話、書類等が入ったバッグは無くなっていた。西は地元の警察に発見され救急車で病院に搬送された。連絡を受けた息子の陽一郎は驚いて病院に向かった。西は未だ意識が回復しておらず、息子の陽一郎が東京のA氏に電話して事件の報告をした。連絡を受けたA氏は何が起きたのか理解できなかったが、うろたえて訳の分からない言葉を発する陽一郎を落ち着かせて事件の概要を知った。重傷を負わされた西は、その後、香港警察の事情聴取を受けたようだが、その時も鈴木の名前は一切出さず、事件内容の真相も明確には話さなかった】
2006年(平成18年)10月13日、A氏は、それまで直接鈴木に連絡を取ったことは無かったが、香港事件を聞いて鈴木の事務所にいる紀井氏に電話をした。A氏は電話に出た紀井氏に鈴木との連絡を依頼した。鈴木宛の電話には「海外に行っていて不在」と言うように指示されていた紀井氏は、A氏に対しても同様の話をしたが、それまでA氏との接触を極力避けていた鈴木はA氏から直接電話がかかったことにひどく狼狽した。A氏を裏切っている後ろめたさもあったからに違いないが、紀井氏から「電話をした方がいいのでは」と言われ、ようやくA氏に電話した。A氏が「至急会いたい」と言うので、鈴木はA氏の会社に行くと伝え、すぐにも事務所を飛び出すように出てA氏の会社に向かった。
会社に姿を見せた鈴木に、A氏が手許にある「合意書」を示し、株取引の現状と約束の履行に対する説明を求めた。鈴木は西に10憶円の報酬を払って「破棄」させた筈の「合意書」を見せられ動転した事だろう。しかし、悪党として修羅場を潜ってきた鈴木は、辛うじて平静を装い、「合意書なんて関係ないですよ」と嘯いた。しかし、それに怯むA氏ではなく、西が香港で襲撃された事を話し、鈴木に嫌疑がかかっている事も告げた。鈴木は、西に連絡を取ってくれるようにA氏に頼んだ。西はA 氏の電話に出て3日後の10月16日に鈴木を交えて「合意書」の履行について3人で話し合う事になったのだった。
香港事件は鈴木の仕業だと確信していた西は、既に帰国していて、話し合いの前日の15日に鈴木の株取引の業務を任されている紀井氏に会い、香港での事件を話した。それを聞いた紀井氏は自分の身にも危険が及ぶのではないかと感じたようだ。西は紀井氏を口説いて鈴木の株取引の実態を聞き出した。紀井氏の話は詳細に及び、西は、鈴木が株取引で得た利益が約470億円に達していて、その大半を隠匿していることを知った。(以下次号)

2023.06.12
     

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