隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(1)

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ハニートラップで頭取を罠に エフアールを受け皿に不正融資が始まる
1998年5月 佐賀県に本店を置く親和銀行で頭取(辻田徹)の席をめぐって内紛が起き、現頭取が反対勢力のハニートラップに嵌った弱みを握られ、不正融資を重ねたことから警視庁に特別背任罪で逮捕、起訴される事件が起きた。

(写真:鈴木義彦)

この事件は辻田頭取側がスキャンダルを揉み消す為に総会屋で金融ブローカーの副島義正という男に仲裁を依頼したことから始まった。副島は関西の暴力団組長と協力してこの問題を終息させた。しかし副島らは謝礼として親和銀行に融資を要求する。親和銀行は副島らに直接融資をするわけには行かず、エフアールという宝石販売会社を受け皿にして迂回融資をした。そして、このエフアールの代表取締役社長が鈴木義彦で、鈴木こそが青田光市を使って辻田頭取にハニートラップを仕掛けた張本人だった。鈴木はエフアールにも融資をさせることを条件に親和銀行に取り入って行った。鈴木は模造ダイヤモンドや価値のない不動産を担保として融資を受け、その中から副島らに30億円を超える金額を渡したが、実際には鈴木は親和銀行には140億円を超える融資をさせていたのである。鈴木は自分が創業した富士流通を、エフアールに商号変更させた後の1991年に上場させ、創業者利益を獲得することを目論んでいた。そのためにはエフアールの株価を高値で安定させ一般投資家の興味をそそる必要があった。大した業績や資産基盤のない自社の株価を安定させるために粉飾決算を行い、上場の翌年9月期には売上高268億3200万円を計上したが、これも粉飾の疑いが濃厚だった。また、他人名義で自社株を購入して行かなくてはならなかった。その資金繰りに奔走しなければならない鈴木にとって親和銀行は恰好の金主であったのだ。

(写真:長崎に本店を置く親和銀行)

鈴木は親和銀行の味方を演じて副島らとマッチポンプを仕組んで莫大な不正融資をさせたが、その後には副島らも邪魔になり彼らを排除することを計画した。その時、僚友の西義輝の知人だった「ヤメ検」で「闇社会の守護神」と呼ばれていた田中森一弁護士(故人)を親和銀行の法律顧問として迎え入れさせた。それが功を奏して副島らを排除することにも成功した鈴木は尚も深く辻田頭取とその側近らに取り入り悪事を重ねていったのであった。しかしこのような悪事が続くわけがない。親和銀行不正融資事件が表面化する中で警察の手が入ることになり、鈴木も重要人物として警察に事情聴取されることになった。鈴木は自分が無事では済まない事を覚悟したに違いない。しかし、自分が逮捕されてしまうとエフアールの約束手形を担保にして高利で借りている債務の返済が出来ず、エフアールは手形の不渡りを出し、上場廃止になる。そうなれば今までの苦労が全て水の泡になってしまう。それだけは何としても避けたい。そのためには新規の借入先が絶対に必要だった。鈴木はそのことを西義輝に相談したのだった。
西は、親和銀行の経緯も熟知していて、知人の田中弁護士も紹介している。資金繰りに困窮していて八方ふさがりだった西が、親和銀行からの不正な融資金の一部を手にしていた可能性もあり、他人事ではなかったのだろう。鈴木はいつ逮捕拘留されるか分からない状況の中で西に縋るしかなかった。
A氏と鈴木の出会いは以上の経緯がプロローグとなったのだ。そして1997年8月頃に運命の出会いとなった。西はこの時、親和銀行事件には触れず、鈴木を上場会社の創業者でやり手の経営者としてA氏に紹介し、それから何回かA氏と西、鈴木の3人で飲食を共にした後に西がA氏に本題を切り出し、「エフアールの上場を維持するために無理な資金繰りをしていて窮地に追い込まれていますが、高利な債務を整理すれば必ず立ち直る人間です」と嘘をついてA氏に援助を願った。そこには自分の資金繰りも考えた邪な考えもあったのだろう。
A氏は、西の頼みを聞いて鈴木への貸付を承諾した。鈴木は実直そうな実業家を装い、武骨で男っぽい人間を演じてA氏から好印象を得ていた。鈴木は西からA氏が好む人間はどういう人間か、予めレクチャーを受けていたと思われる。

(写真:鈴木が借用書代わりに預けたFR社の約束手形)

A氏は他人が困っている人間を見過ごすことが出来ない性格だった。その上、長年弟のように面倒を見てきて信用している西の言葉もあって、鈴木を援助することにした。こうして西と鈴木の詐欺と裏切り、特に西の許すことの出来ない背信が始まった。鈴木には西以外に保証人はいなかった。担保となる不動産も無く、借入金額を記載したエフアールの約束手形だけを持参した。A氏は個人で金融の免許は所持していたが本業としていたわけではなく、知人友人に頼まれた時だけ担保も取らずに融資をしていた。鈴木への貸付でも、鈴木と西の要望で借用書代わりに約束手形だけを預かったが、西が「お願い」と題する書面をA氏に差し入れて、期日の3日前までに現金を持参する条件で約束手形を銀行から取り立てしない約束になっていた。これらの貸付条件をA氏は100%の好意と温情から守ったが、鈴木は最初の返済期日から約束を履行せず、西を代理人に立てて言い訳ばかりし、西もまた説明をはぐらかして実情を話さなかった。

(写真:「お願い」と題する書面。期限の3日前までに現金を持参するので、手形を金融機関に回さないで欲しいという趣旨の書面を鈴木と西が差し入れた)

こうして約9か月という短期間で約28億円という莫大な金額が融資された。この間には、事情を知らない人間には理解できないことも起きていたのだった。鈴木はA氏を欺きながら高利で借りていた債務を整理し、債務全額をA氏に纏めてしまった。そして1999年5月末に鈴木が逮捕された。
鈴木は、逮捕される3日前に珍しく1人でA氏を訪れ、それまでの債務の返済を一切していないにも拘らず、新たに現金8000万円を借り、ピンクダイヤモンドと絵画(合計3億円)を販売委託として借り出している。この時、A氏が聞きつけていた鈴木の逮捕情報を鈴木に知らせると、鈴木は驚いた表情で「本当ですか」と言ったが、それはA氏が、何故鈴木が逮捕されることを知っていたのか、ということだったのかも知れない。ただ、鈴木はそれでも怯むことなく融資を受け、販売委託も取り付けたのだ。A氏は鈴木が逮捕されることを知りながらこれに応じているが、これは第三者には理解できない事である。しかも、鈴木が持参した借用書を見ると、返済日が6日後の6月3日と書いており、A氏から逮捕情報を聞いてもそれを書き換えようともしなかった。それどころか、床に額をこすりつけるようにして土下座し、涙を流しつつ「このご恩は一生忘れません」とまで言ったのだ。A氏は「鈴木さん、そんなことはするものではない」と言って椅子に座り直すよう促したが、土下座をして涙を流すようなことをしても、借用書を見れば、鈴木には本気で返済する気などなかったことが分かる。その後、鈴木は逮捕拘留から半年を過ぎた12月中旬に保釈されたが、鈴木はA氏に挨拶をするどころか電話の1本さえかけることはなかった。そして、刑が確定するまでの約2年の間には以前にも増して鈴木と西の詐欺行為と裏切りが継続され、刑の執行猶予中には想像もできない鈴木の罠が待っていたのだった。(以下次号)

2023.06.03
     

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