誹謗中傷や虚偽・捏造に満ちた主張と証言 「鈴木義彦」の偽証の全貌

誹謗中傷や虚偽・捏造に満ちた主張と証言 「鈴木義彦」の偽証の全貌(1)

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合意書と和解書を身勝手な思い込みで無効と決めつけた品田裁判長
A氏が提訴した訴訟で品田幸男裁判長が誤審誤判を招いた最大の原因は、鈴木の主張や証言が全て嘘であり、それを指摘される度に辻褄合わせをするように主張を三転も四転もさせた事実を著しく軽視したことにある。特に、株取引の重大なポイントになる合意書と和解書を無効とするに当たって、品田裁判長が示した理由には根拠が全くなく、しかも合意書に基いた株取引が継続する中で利益が上がったからこそ、その履行を求めるための和解協議が行われ和解書の作成があった。その事実を無視して、品田裁判長は和解書を無効とする根拠に強迫と心裡留保を挙げた。しかし、その根拠は誰もが納得するようなものではなく、偏見と思い込みに満ち溢れていた。

(写真:合意書)

和解協議の場を強迫というのであれば、鈴木は何故その足で警察に相談し被害届を出さなかったのか。鈴木の主張によれば事は70億円という巨額の支払を強迫で強要されたという話だけに、被害が事実ならば警察に相談しない方がおかしい。また、西が平成22年2月9日頃に自殺した直後、A氏と西の妻、息子が鈴木の実父の自宅を訪ねた際に、実父に鈴木の妹も同行して、最寄りの警察署に出向いたことがあった。そして警察官の面前で妹が鈴木に架電し、その電話を代わった刑事が鈴木に来署するよう促したが、鈴木は言い訳をして拒み、翌日以降にA氏に電話をすると言って逃げた。鈴木がA氏に強迫されているのであればその告発、相談を行う格好の機会であったはずなのに、鈴木はこの機に乗らないばかりか警察から逃げ相談すらしなかった。強迫の事実などなかったからである。

(写真:和解書)

そもそも鈴木と西が株取引を開始したきっかけは、宝林株の筆頭株主が所有株800万株を手放すという情報に基づき、西が取得代金3億円の調達でA氏に依頼し、A氏がそれに応じて平成11年5月21日に5000万円、同月31日に2億5000万円を西に渡した。これにより宝林株売買の契約が成立し、同日現株の授受が行われた。
ところが鈴木は、代金3億円はA氏が出したものではないと主張したが、主張の根拠を三転四転させた。鈴木は、売買契約の翌日に金融庁に提出した「大量保有報告書」の「資金の出所」について「紀井義弘からの借入」と虚偽記載した。また、その後の交渉や審理では「売り手と買い手の直接取引だった」「投資に係るファイナンスだった」「自己資金だった」等と主張を三転四転させたうえ「ワシントングループ会長の河野博昌から借りた」とまで言い出した。

(写真:宝林株の大量保有報告書)

宝林株取得の話を西から聞いた当初から、鈴木には株取引で利益が上がった場合に、その利益を独占しようとする思惑があった。現に、宝林株の授受では鈴木がペーパーカンパニーの調達を依頼したフュージョン社の町田修一を契約現場に立ち会わせ、現株を受領させた。

鈴木の陳述書は矛盾だらけで何故証拠になるのか
鈴木が裁判で主張し、証拠として提出した陳述書(乙58号証、同59号証ほか)の内容は全くの虚偽の構築によるもので、乙58号証(表題無し)については平成18年10月16日に青田光市が同行していたという嘘の話も一切書かれていないし、一部に事実があったとしてもほぼ100%に近い虚偽の構築であることが明らかであり、もしこれが真実というのであれば、弁護士の平林英昭がA氏と最初に会った時に「50億円ならば鈴木がすぐに払うと言っている」という言葉が出るはずがない。また乙59号証(質問と回答書)はA氏を誹謗中傷することと、今までの嘘がバレそうなところを修正するために創作されたもので、A氏とは会ってもいないのに、「A氏に呼び出され、債務の二重払いを強要された」とするなど、よくもここまで架空の話が構築できたと思う。長谷川と鈴木の悪事は絶対に許されるものではなく、余りの醜悪さから読むに堪えないほどである。鈴木が平成14年3月頃にA氏と会ったというのなら、3月の何日何時にどこで会ったのかを明確にすべきだが、これについては一切具体的な記述が無いのは当然で、書ける訳がない。当時A氏は鈴木の電話番号さえ知らないのに、どうして電話をして会ったと言えるのか。A氏は西を飛び越えてまで鈴木と会うということは他の人間関係でもそうだが一切しない人間であることは周囲の誰もが知っていた。A氏が鈴木と2人で会ったのは、鈴木がどうしても2人で会いたいと言って会社を訪ねて来た平成10年5月28日ほか数回あったが、A氏から電話をして会ったのは、平成18年10月13日の1回しかない。ただし、この時も鈴木は電話番号を変えることが多く、西も知らなかったため紀井氏に連絡を取ってもらおうとしたくらいだった。その後の10月16日に3者で会って和解書を作成し、さらに1週間後の10月23日には鈴木がA氏に電話をしてきて2人で会いたいと言って来社したが、A氏から鈴木に直接連絡することなどは一度もなかった。

(写真:鈴木の陳述書(乙58号証))

鈴木によれば、乙58号証は平成19年4月10日に作成されたものを、平成29年2月5日に証拠として提出したとあるが、以下の理由から裁判の経過を踏まえて作成したものをA氏の代理人と被告の代理人(青田光市と平林弁護士)が交渉中の平成19年に遡る虚偽の作成日を記したものである。陳述書の作成日を平成19年4月10日に遡らせたのは、陳述の内容が余りにも具体的でありすぎるからであって、それから約10年を経過した平成29年2月に当時を鮮やかに思い起こして書き記すことなど困難であることは、人間の記憶に限界があることを前提にした小細工に過ぎないのは明白だ。そして何より、作成時期がこの陳述書に書かれた内容と矛盾するのは、以下の事実経緯でも分かる。和解後に鈴木が支払約束を反故にして交渉を継続すると手紙で通告し、鈴木の代理人に就いた平林弁護士がA氏と代理人に会った際に「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか、それであれば鈴木はすぐに払うと言っているので…」と打診したのに対し、A氏が買い支え資金ほかどれほどの金が出ているかを伝え、平林弁護士の打診を断った。すると、その後、平林の対応が一転して全てを否認して鈴木による支払いを拒否する方向に転じたのだ。裁判で鈴木は強迫や心裡留保があったとして和解書を無効と主張したが、それが本当なら和解後から1週間後の10月23日に鈴木が一人で会いたいと言ってA氏の会社に来ることなど有り得ないし、強迫による心裡留保と言うなら、警察に出向いて相談したはずである。この陳述書に書かれた内容はまさに裁判で和解書を無効にしようとする方針に沿った流れになっているのである。

(写真:A氏に宛てた鈴木の手紙)

鈴木は乙58号証の全編を通してA氏を呼び捨てにしているが、鈴木の胸の奥深くにある心情から推せば、仮にもA氏を呼び捨てにできる状況など全くなかったから、陳述書は交渉の代理人に就いた平林英昭弁護士が一定の経緯を知る中で作文した書面に鈴木が署名したと考えるのが妥当だ。ただし、平林が作文したとしても、鈴木自身がそれを訂正させなかったのであれば、鈴木は咎められて当然である。現に、時期は前後するが、鈴木が和解協議後にA氏に送った2通の直筆の手紙の中で、A氏を指して「大変お世話になった」とか「男として一目も二目も置く人間に今まで出会ったことが無い」と書き記しているが、鈴木がA氏から受けた恩義の大きさや重みを考えれば、それが人間としての当り前の心情である。この手紙と陳述書の内容がまるで違うように、鈴木はカメレオンのようにその場その場で言うことが変わっている。それゆえ、陳述書は株取引の利益を独り占めにしているという異常な金銭欲にかられた鈴木の意向を踏まえた平林が、鈴木を正当化するために前後の見境なく虚偽の理屈を編み出して真実を隠蔽するために作文をしたとしか言いようがない。

瀕死の鈴木を救った28億円に上るA氏の融資
A氏が西の紹介で鈴木と初めて会ったのは平成9年に遡るが、当時の鈴木は経営する会社(エフアール)も自身も資金繰りが行き詰まり瀕死の状況にあった。西が鈴木をA氏に紹介したのは、その窮地を脱するためであり、それから

(写真:鈴木が借用書代わりに預けたFR社の約束手形)

間もなくしてA氏はエフアール社の約束手形を預かり鈴木に融資をしたが、平成9年8月から翌平成10年5月28日までのわずか9カ月の間に融資額は手形の額面で約16億9000万円、借用書で3億円と8000万円のほか、ピンクダイヤ及び絵画の購入で3億円の総額約24億円にも昇った。この間、西が鈴木の代理として手形が市中の金融機関に回れば必ず不渡りになるので、絶対に入れないでください、期日の3日前までに現金を持参すると約束したので、A氏は約束を守ったが、鈴木は手形の期日を書き替えるだけで一度も返済をしなかった。また、鈴木が親和銀行不正融資事件で逮捕され、約半年後に保釈された直後、超高級時計4億円(上代40億円超)で売らせてほしいと言って西が鈴木の代理として預かり証を差し入れたが、それを加えると、鈴木への貸付は約28億円にもなった。そうした経緯があってもA氏は鈴木に返済の催促もせず、手形の期日変更や新たな融資にも応じたが、瀕死の鈴木にそんな対応をする人間がA氏の他には誰一人としていなかったのは当然のことである。むしろ債権の回収で多くの業者が鈴木に返済を迫っていたのが実情だった。そうしたA氏の恩情を逆なでするように、鈴木は販売委託を受けた超高級時計のうち上代が1セット10億円のペアウォッチ3セットを知人の所に持ち込み、6億円を借り受けたが、委託で約束した代金4億円をA氏には払わず知らぬ振りを決め込んでしまったのだ。それはピンクダイヤと絵画の販売委託についても同様だった。

(写真:8千万円借用書)

鈴木は自らの資金繰りのためにA氏にピンクダイヤと絵画を3億円で買い取ってもらいたいと依頼し、A氏は鈴木の当時の状況を汲んで、鈴木を信用し、また支援する気持ちも持って、特に絵画については現物を確認することすらせずに鈴木の言い値で購入することを快諾した。しかし、鈴木は、すぐに絵画を持参すると言いながらその後絵画をA氏に引き渡すことはなかった。
後日判明したところによると、当該絵画は当時既に他の債権者に担保として差し入れられていたものであり、A氏が保有するものではなかった。また、当時鈴木には同債権者に対する弁済の予定も全くなく、鈴木が当該絵画を処分する権限はなく、近い将来において処分できるようになる具体的な見込みも一切なかった。鈴木は販売委託に関する念書を作成していた。この時鈴木は、ピンクダイヤをA氏から受け取り、また絵画については、(鈴木からA氏に売却したにもかかわらず)鈴木は元よりA氏に渡していなかったが、その後もA氏に引き渡すことはなかった。それ以降、鈴木は当該商品をどのようにしたかA氏に報告しておらず、販売委託の趣旨に沿って第三者に売却したのか否かすらも判然としないが、少なくとも鈴木はA氏に対して、販売代金の支払をしていないし、他方で当該物品の返還もしていないのだ。

(写真:念書)

この念書については、鈴木は、後日の裁判において、書面上エフアール社の常務だった天野裕の署名もあることを強調し、現実に委託販売を請け負ったのは鈴木個人であり、署名し作成したのは鈴木個人であったにもかかわらず、エフアール社が作成名義人であり、その責任は鈴木個人ではなく会社として負うべきである旨を主張した。また、鈴木はピンクダイヤと絵画を「原告から購入した」と偽り、現品を持ち出す半年以上も前に作成された同額の金銭借用証書で代金の処理をしたと主張した。鈴木がA氏に差し入れた念書には「預かった」という文言が明記されており、前記の金銭借用証書の但し書きにもピンクダイヤと絵画の記述はなく、しかも鈴木は年利36%、遅延損害金年40%の条件を自筆で書いていた。なお、鈴木の側近であった上記天野裕常務は、過去にピンクダイヤの話を聞いたことがあったが、現物を見たこともなく、また、鈴木がその後ピンクダイヤをどのように処分したかも知らなかった。(証拠 念書 3億円借用書)
仮にA氏が預かった手形を1枚でも取り立てに回せば即時的にエフアール社は倒産に追い込まれ、鈴木も破綻することは必定だった。そうした経緯を考えれば、鈴木が先にも触れた手紙の文面に書き記した心情は本音であったことが窺える。
しかし、それにもかかわらず、この陳述書に書かれた内容はA氏と鈴木、西のやり取りや経緯が部分的に事実であるとしても、鈴木による説明のほとんどが虚偽であり、事実と真実を極端に捻じ曲げ、あるいは全く正反対の解釈をしている。そしてその内容は代理人に就いた平林が、交渉の場でA氏側の代理人と続けたやり取りを再現しているかのように酷似している。

(写真:鈴木の陳述書「質問と回答書」(乙59号証))

陳述書で、鈴木がいかに虚偽を並べ立て正当化しようとしたかを、個々の事例で見て行くことにする。
乙58号証の陳述書は和解協議があった平成18年10月16日のやり取りを挟んで3日前の10月13日にA氏が紀井氏経由で鈴木に連絡を取り、A氏と鈴木の2人で行った面談と、10月16日の和解協議から1週間後の10月23日に鈴木が単独でA氏の会社を訪ねた際の面談の三つの場面を書き記している。そのいずれの場面でも鈴木は自分に不利な所や鈴木自身の発言を排除して、自分を正当化するために必要なやり取りだけを切り取り引用したり都合よく作文するという組み立てをしている。

10月13日にA氏が鈴木に会ったのは、西が香港で殺されかけた事件の真相を鈴木に確かめ、合意書に基いた利益分配を実行させるためだった。その10日ほど前の10月2日に西は株取引の利益分配金を鈴木から受け取るために息子の内河陽一郎と香港に渡航したが、A氏には鈴木に会うとは一言も言わなかった。しかし鈴木は香港に現れず、代わって応対したTamと名乗る男から勧められた薬物入りのワインを飲んだ直後に意識を失い、翌朝、海岸で香港警察に発見されるという事件が起き、西は一命をとりとめたが、受け取った分配金(保証小切手)や書類のほか携帯電話等がそっくり奪われていた。この事件をきっかけに西は鈴木の口車に乗ってA氏を裏切っていた事実を明らかにすることになり、A氏もまた鈴木が総額470億円の利益を独り占めにしている事実を和解後に知ることとなった。

(写真:確認書。A氏がFR社の決算対策のために交付した確認書で鈴木は債務完済を主張した)

それらの真実を確認するためにA氏が鈴木に連絡を取ろうとしたが、鈴木の電話番号を知らなかったことから西に電話すると、西も事件で携帯電話を紛失し鈴木の電話番号が分からず、息子から紀井氏の電話番後を聞き、それを知らせて来たので、紀井氏に電話を入れたのだったが、紀井氏が電話を受けた時、鈴木は陳述書では「紀井から電話があった」と言っているが、実際には紀井氏が株の売りを行うために鈴木が借りていた都心のマンションの一室にいて、誰からの電話に対しても全て紀井氏が海外に行っていて、いつ帰るか分からないと答えていたが、紀井氏がA氏から電話があったことを鈴木に伝えると、とたんに鈴木はうろたえ、部屋の中をうろうろしだしたと、紀井氏が証言している。「どうしようか」と言いながら、いつまでも迷っている鈴木に紀井氏は社長との合意書の事は知らなかったが、色々世話になっていたことは承知していたので、「社長にだけは電話をした方が良い」と促して、鈴木はようやく電話をかけ、すぐさま部屋を飛び出してA氏の会社に向かったという。A氏との電話でのやり取りは陳述書にあるようなものではなかったのだ。鈴木はさもA氏に対等に応対しているかのような雰囲気を装っているが、鈴木はA氏の会社でA氏から合意書を見せられた際に「…憶えていないし全くもう関係ないものでしょう。債権債務は全くないという確認書を2度ももらっている」と述べているが、確認書は手形13枚を一時的に戻す際に西に頼まれ交付した1通しか渡していなかった。鈴木は内心では西に総額で10億円もの大金を渡して破棄させたはずの合意書が、なぜA氏の手元にあるのか、ということに驚いたに違いない。
しかも、鈴木の言う確認書はエフアール社の決算のためにA氏が手形原本(13枚)を一時的に戻すとともに便宜的に作成し交付したもので、交付に当たっては西が手形と同額の借用書を書き、さらに確認書が便宜的に作成されたことを明記した書面をA氏に差し入れていたから、鈴木が嘘をついていることは明らかだった。手形原本の一時戻しは前年にも西と天野常務(当時)にしてあげたが、債権が無いという確認書は頼まれなかった。これは鈴木が後々悪用を考えての事だったと思われるが、本当にここまでやってもらった人間のやることではない。(以下次号)

誹謗中傷や虚偽・捏造に満ちた主張と証言 「鈴木義彦」の偽証の全貌(2)

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香港で西が薬物入りのワインを飲まされ殺されかけた事件についても、鈴木は、西の事件でインターポール経由で刑事が会社に来たことをA氏から聞かされたと言っているが、A氏が言ったのは西の関係する警視庁OB(元警視正)がA氏の所に来て、インターポールが動くようなことを西から聞いたと言っていたという話で、全く違う話を前提にして「余りに突拍子もない話に言葉を失った」とか、鈴木が独り占めにしている利益の分配をするのを嫌い、西の排除に及んだというA氏の話を聞いて「私は作り話とはいえ、空恐ろしさを感じ、『全くの作り話でとんでもないことだ』と声を荒げた」等と言い、それで西を同席させ真相を究明するとまで言及したことから、3日後の10月16日に改めて西を交えた協議の場を設けることになった。

(写真:鈴木義彦)

鈴木は、この時、西が殺されかけて病院にいたら来られる訳は無いし、全くの作り話だから、西も当日は来られる訳がないと思っていたようだ。しかし、西を同席させ、真相を確かめると強く要請したのは鈴木自身だった。明らかに矛盾している。
なお、陳述書にはA氏が「すでに海外の鈴木さんの関係者、資産、銀行口座等も把握していて、すぐにでも凍結されるのではないか」と言ったと記されているが、A氏はこんな話はしておらず、これも全くの作り話だ。こうした作り話が陳述書の随所に見られるが、いかにもA氏が鈴木が不安になり恐怖を感じるような言葉を執拗に並べ立てて鈴木を追い詰めようとしている、と思わせる記述が創作され随所にちりばめられているのだ。しかし、和解時には香港事件の話は数時間に及ぶ協議の中で10分にも満たないくらいだった。

(写真:鈴木の陳述書(乙58号証))

この陳述書で鈴木は、西が鈴木を殺人犯に仕立てるような作り話をする大嘘つきであることを強調し、あるいはA氏から見せられた合意書に対して「憶えていない」とかA氏から借り受けた巨額の債務の話まで持ち出しながら「全くもう関係ない物」という点もことさらに強調したが、鈴木が覚えていない訳がない。そもそも合意書が作成されたのは、鈴木が一人熱弁を振るってA氏を説得し、株取引での買い支え資金を継続的に出してもらうことになったからである。さらに宝林株で予想外の利益が出始めると、西にしつこく何回も合意書の破棄を迫ったことは西の遺書にも書かれている。それは、裁判で鈴木が和解書に署名指印していても未だシラを切って無効を主張するに当たり、A氏と西から強迫を受け、また香港事件で犯罪者にされそうになって恐怖を感じたと被害者を装い、自分が稼いだ金を横取りされる可能性から公序良俗に反しているという、和解書無効を主張するうえでの3つの根拠が正当であると裁判官たちに印象付ける狙いがあったと考えられる。鈴木は株取引の最初の銘柄となった宝林株の仕手戦で、合意書を交わした平成11年7月8日からわずか数週間で約50億円前後の利益を上げたことから、同月の7月30日に西が15億円をA氏の会社に持参していた事実を全く無視していた。しかも合意書を作成するに当たっては、鈴木が一人熱弁を振るってA氏を説得し、買い支え資金を継続的に出してもらう約束を取り付けたことさえ一言も触れていない。こうした陳述書の内容からして、平林が鈴木を正当化させるために苦心して作文したという真相が見えてくるのだ。合意書には株取引の対象について「今後一切の株取引」という文言が明記されていた。鈴木は後述の和解協議で合意書に基いた株取引は宝林株だけと言い、また裁判では投資コンサルタントを自称して株取引で30億円から50億円の所得を得たと主張したが、仮に鈴木にその事実があったとしても、合意書に基づき鈴木はA氏や西に当該株取引についても報告する義務があったことになる。しかし、和解協議にまで至ってもなお、鈴木がそれらを報告し明らかにした事実はない。
西がA氏に分配金として15億円を持参した際に、A氏が心遣いで西と鈴木に5000万円ずつを渡し、翌日に西と鈴木がA氏の会社を訪ね、A氏に礼を言ったことさえ鈴木は「憶えていない」とでもいう積りなのか。返済金であれば、このようなことをするはずはない。
ちなみに、親和銀行と山内興産に支払った和解金約21億円についても、鈴木は裁判で自身の身分を投資コンサルタントと偽り、親和銀行への和解金約17億円、山内興産への和解金約4億円の総額約21億円は、その事業で稼いだ自己資金だと主張した。しかし、もとより鈴木は親和銀行と和解した当時は債権者から逃れるために愛人宅に隠れ潜んでいたばかりか、10日で1割の金利でも貸してくれる所もなかったから、21億円もの資金を自己資産として有しているはずがない。他方、鈴木が上記各和解金を支払った当時は保釈中の身で身動きが取れず、対外的には誰とも接触せず債権者からも逃げ回っていたくらいだったので、他者からの借入等による調達もなし得なかった。鈴木はこの時期、密かに合意書に基く株取引を実行していたことが分かっており、この21億円という巨額の資金は株取引の利益から拠出されたものであった。

そして、和解協議のあった10月16日である。
鈴木は、来るはずがないと思っていた西が先に来ていて、応接セットに座っているのを見て、意外に思ったと言うが、自身にかけられた嫌疑を晴らすために真偽を確かめなければ収まらないと言ったのは鈴木自身である。その結果、改めて協議の場を持ち、そこに西を同席させることになったわけだが、肝心なことは合意書が鈴木の意に反して現に存在しており、それが有効に働いてそれまでの7年間に鈴木と西が数多くの銘柄で仕手戦を演じ総額で470億円もの利益を上げたという事実を鈴木が認めるか認めないか、ということだった。この時点では、西も470億円という利益について明確にしていなかった。
しかし、鈴木が陳述書で優先して述べているのは、香港での西の事件を材料にA氏と西が鈴木をトコトン追い詰めようと謀り、鈴木に言わせれば、もちろん合意書にも、A氏と西にも関係ない株取引で儲けた利益をA氏と西に脅され吐き出させられそうになった被害者なのだということを強調することだった。
応接セットのテーブルの上にテープが30~40本の他に資料とレポートが山積みになっていたとか、協議のさ中でA氏が怒りを露にして西にライター(鈴木は灰皿と書いている)を西の膝にぶつけ、西が痛みで床に蹲りながらも「すいません、すいません」と、ひたすらA氏に謝っている姿を細かく描写しているが、テープや資料などが山積みされていたというのは嘘で、西が土下座して謝ったというのも鈴木のとんでもない誇張だった。こうしたことを書き連ねることで、非常に険悪な状況に身を置かされているとする鈴木の立場を演出する効果を狙っているように思われる。
A氏が傍にあったライター(灰皿ではない)を西に投げつけたのは、信用していた西が鈴木の誘いに乗ってA氏を裏切っていた事実が判明したのだから、思い余った故の成り行きだったに過ぎないとも言える。A氏にしてみれば、総額で207億円もの買い支え資金を何年にもわたって継続的に出させておいて、鈴木と西が好き放題に利益を貪って来たに違いないと思えば、誰だって怒りは収まらない。A氏が株取引のために出した金は全てがA氏の金ではなく、A氏が借りた分も含まれていて、西がA氏には無断で借りた先に西が金利交渉に行っていたことが後日判明している。西が合意書破棄の約束と引き換えに鈴木から10億円もの大金を受け取ったり、A氏を外して鈴木と西の2人で利益分配の密約を交わしていた等の事実は、その時点でもA氏には明確に分かっていた訳ではないが、逆に知っていれば、ライターを投げつけるくらいで済まされるものではないほどA氏を裏切り、騙し続けてきたのである。鈴木はそのために西に利益の一部の金を渡してコントロールしていた。多い時には一度に30億円ももらったと西の遺書に書かれている。

(写真:紀井氏作成の確認書。鈴木が株取引で上げた利益の明細)

とはいえ、西の裏切りは許せるものではないが、鈴木のあくどさは西の比ではなかった。宝林株取引で出た利益に目がくらみ、鈴木は利益を海外へ流出させて隠匿する一方で、A氏との距離を意図的に置いて接触を避け、西には「鈴木は都心のマンションの1DKで頑張っている」とか「今は海外に出ていて、日本にはいません」などといい加減な報告をさせ、A氏と接触しないようにしていた鈴木に西も協力していた。
当然、株取引の実情はA氏の耳には入らず、西が香港で殺されかけた事を知って初めて株取引の真相が見えて来たに違いない。鈴木は、3日前の10月13日にA氏と会って話した内容から、シラを切り通そうと決めていたに違いない。
陳述書によれば、A氏が西から資料を見せられ、鈴木の株取引の関係を知っている人間が証言しているテープを聞いたと言い、鈴木が385億円もの利益を上げているではないかと鈴木に詰め寄ると、鈴木は「仮に私がいくら稼ごうが損をしようが、関係ないでしょう」と言ってかわそうとしたが、A氏がさらに「いや、合意書があるのを忘れてもらっては困る」と言うと、「合意書なんて全く関係ないし、何か3人で株の話をしたり、合意書に基いて何かを実行したことがあるのか。今頃、何年も経ってトンでもないことを言わないでくれ」と答えたと経緯を語っているが、実際には自分の都合のいいように話を作っている。和解協議の模様は録音されていて、法廷にも証拠として提出されたが、鈴木が語ったのは、
「それはね社長、俺もよく思い出したけど、あれはジャス(宝林)のときに、株をやるから西が持ってって、金を。ね、それでもう全部、精算ついてる話でしょあれは?」
というもので、鈴木が述べたようなやり取りはいくつかの場面を都合のいい所だけを切り取ってつぎはぎしたようなものだった。鈴木は「清算ついている」というが、それは7月30日に西が持参した15億円を3等分した1回のみだった。それで何が清算と言えるのか。また、鈴木は「ジャスんところに社長が金を出して、それを運用して儲かったのを3等分しましょうと、合意書はそうですよね、うん、それがあれでしょ。それ以降今さら、社長、それだとすると恐喝ですよ、それ」とも言って完全に開き直った格好となったが、協議の直前に西が紀井氏に会い、株取引の実態を明らかにした事実を知るや、鈴木は急に態度を軟化させ、A氏には別途20億円を支払うと急に言い出したが、実際には株取引の利益が50億円あると言い、途中で60億円と言い換えたが、それをA氏と西にそれぞれ25億円ずつ支払うと言ったことから西が用意していた和解書の作成となったが、「こんな金額では社長が借りている分にもならない」と言うと、A氏には別途で2年以内に20億円を支払うと鈴木は約束したので、西は「それも和解書に書け」と言ったが、鈴木が「お前の言い方が悪いから書かないが、社長、信用してください」と言うので、A氏は了解して協議を終えることになった。
株取引の利益の総額は約470億円であると紀井氏が証言しており、それを聞いていた西は鈴木の言う50億円とか60億円にはとても承服できないと言っていたが、A氏から諌められたことで、渋々ながら和解書に署名指印したが「これは、あくまで利益が60億円であることが前提だからな」と西は鈴木に釘を刺した。
鈴木はA氏の会社を出た直後、紀井氏に電話して「100億以内で済んだ。香港の金はバレていないだろうか」と言ったと、紀井氏が証言しているが、もちろん陳述書には一言も触れていない。全く金がなく、借金だらけの人間が、どうしていくつもの銘柄を買う資金があったというのか。合意書を作成してから、A氏が西の言うままに金を出した成果以外にあるはずがない。宝林株取得の3億円もA氏が出したのに、鈴木はこの金の出所について主張を三転四転もさせたが、最後にはA氏が出したと認めた。

和解協議後の場面でも、鈴木は西が紀井氏と組んで社長を加えて自分を陥れたことに確信を持ったと強調して、それをさらに確かめるために10月23日にA氏の会社を訪ねたと述べている。香港で殺されかけた事件について和解協議の場ではわずかに10分弱程度しか話題にならなかったが、その中で西が「自分には思う所があるので、自分の事としてやります」と言い、鈴木が慌てて「ちょっと、それ、どういうことよ?」と西に確認を求めようとしたが、西はそれ以上具体的な話をしなかった。西は事件を捜査している香港警察に任せ、それよりも合意書の約束を実行することの方が重要だと何度も鈴木に強調した。しかし、鈴木にはそのことが気になっていたのではないか。それで、あえてA氏の会社を訪ね、西が大うそつきで香港事件をでっち上げたと強調したかったのかも知れない。鈴木はA氏に和解書で約束した支払について、海外に口座を作れないかとか、1回に日本に持ち込める金は5億円が限度などとかなり具体的な話をしているが、陳述書ではA氏に支払方法を聞かれ仕方なく答えたと述べている。和解時に、鈴木は「金を持参する直前に電話をするので、誰にも一切言わないで欲しい。1か月に10億ずつ持参するので、領収書を書いて欲しい」と言っていた。

(写真:鈴木の陳述書「質問と回答書」(乙59号証))

長谷川は、犯罪疑惑にまみれた鈴木が、A氏により提起された訴訟に負けでもしたら、警察・検察や国税当局から追われる重大な問題になると考え、どんな手を使ってでも勝たなければならないと必死になったのは明らかだ。しかし、だからと言って、全ての主張や証言で噓を並べ立てたり、A氏を極端に誹謗中傷することで自分を正当化しようとするやり方が法廷という公の場で許されていいはずがない。
ところが、それを度が過ぎるほどに実践したのが長谷川だった。鈴木の虚偽主張には際限がなく、「質問と回答書」(乙59号証)という陳述書についても、長谷川が骨子を組み立て、長谷川が質問し鈴木が答えるという形式になっているが、これが全編にわたってデタラメ、それも平成14年3月頃にA氏に呼び出され、債務の二重返済を迫られたというなら、何日の何時にどこで会ったかを説明する義務がある。それを単に「3月頃」と曖昧な表現にして、よくこんな作り話ができるものだ。長谷川は弁護士としては最低というより本当に極悪人であるとしか言いようがない。第一、A氏は鈴木の電話番号を知らないからかけようがなく、特に平成14年3月は西が志村化工株の相場操縦事件で東京地検特捜部に逮捕された直後の時期だっただけに、本当に会っていたとすれば、鈴木と西が一緒に取り組んだ株取引の詳細について、当事者である鈴木に尋ねたいことがA氏には多くあったはずだが、そのカケラすら乙59号証にはなかったのである。会ってもいないのに会ったと平気でここまでのウソをつく人間は他にはいないと思われる。この陳述書に記されているのはA氏が反社会的勢力と密接な関係にあるという度の過ぎた誹謗中傷であり、それによって債務の二重払いに応じなければ、自分だけでなく家族にまで危害が及ぶという危機感と恐怖を感じたとした。しかもA氏と反社との関係ついては、西がその真相を明かしていると断定して、それを根拠にしているが、西が自殺して証言台には立てないことを長谷川弁護士は見据えて好き勝手放題の陳述を組み立てたのである。長谷川の戦術はあまりにも醜悪で弁護士にあるまじき悪質であり、西の自殺を利用する、まさに死者に対する冒涜に他ならなかった。A氏が平林と杉原の両弁護士に対して懲戒請求をかけているが、平林弁護士は答弁書で「乙59号証については長谷川弁護士によるもので関知しない」と答えているが、鈴木の代理人として裁判全体に関わった責任を自覚してもなお乙59号証の作成には関わっていないと強調するほど内容が醜悪である、というより会ってもいないのに会ったような全く架空の話を構築していることは平林も当然分かっていたはずだ。そうした長谷川の戦術に乗った鈴木も長谷川以上に悪質だ。金銭的に追い詰められた状況を誰一人として救ってくれない時に、A氏に何から何まで助けられながら、少しも恩義を感じないという人間はいない。仮に長谷川がこの陳述書を証拠として出さなければ裁判に負けると言ったとしても、配慮すべきだったのではないか。恩を仇で返す人間は極悪人としか言えない。しかし、鈴木は長谷川に完全に同調して、この陳述書に書かれた内容を証人尋問の場でも平然と繰り返して証言したのである。平成14年3月に会ったというのは、それまでにもそんな話は無かった。A氏は一切会っていないので、100%作り話である。本当であれば、今までに提出されているはずで、全くの虚偽である。
合意書に基いた株取引で、鈴木は上がった利益を一元的に管理することで独り占めにする計画を進めた。そのために自分は裏方に回るようなそぶりを見せて西を前面に出し、A氏との接触も意図的に避け、いざとなれば利益は全部自分が稼いだもので、A氏にも西にも関係ないとする布石を打ったのだ。西を裏切らせ、合意書の破棄を執拗に迫ったのもそのためだった。西も鈴木からもらう目先の金に転び、完全に鈴木にコントロールされてしまった。揚げ句には香港で殺されかけ、その後日本に帰国してからは、青田ほかの尾行続き、人生の大恩人への裏切りに耐えかねて自殺する羽目に陥った。そうした経緯を見れば、鈴木は西の悪さを何十倍も上回るあくどさと冷酷さを持った人間であることが分かる。(以下次号)

誹謗中傷や虚偽・捏造に満ちた主張と証言 「鈴木義彦」の偽証の全貌(3)

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これは紀井氏が証言していることだが、和解協議後に青田光市が再三にわたって紀井氏に電話をかけ、会ってみると、青田がA氏に土下座をしてでも謝って詳しい話をしたいと言っていたというが、青田が紀井氏を寝返らせようとした意図は明確にあったと思われる。しかし、紀井氏は従わなかった。そのため、鈴木も紀井氏の裏切りを強調するようになり、例えば平成14年12月に鈴木が紀井氏を同行してA氏の会社に債務の返済金として10億円を持参したことに触れ、その際に書いてもいない確認書をA氏から受け取っていたとしつつ、紀井氏がそれを持ち出してしまったとか、和解協議の翌日から一切連絡が取れなくなっただけでなく、西の作り話に乗って、鈴木が殺人を犯すような人間で恐怖を感じるという話を周囲の関係者に言いふらしているとまで言って中傷を繰り返した。鈴木の周囲では、特に親和銀行事件で鈴木が逮捕されて以降、10人前後の人間が自殺したり行方不明になるなど不審な状況に陥っている事実を鈴木は完全に無視している。鈴木は犠牲者との関係に疑惑が持たれているのを忘れてはいけない。

(写真:平成14年6月27日に作成された15億円の借用書。鈴木は年内の返済を条件に10億円に値切り、同年12月24日に持参した)

なお、この10億円については、西が志村化工株事件で逮捕され、その後に保釈された直後の平成14年6月20日、A氏と西が鈴木の債務について話をした際、西が「今後、株取引の利益が大きくなるので」と言って、鈴木の債務40億円超(年利15%で計算した場合)を25億円に減額するようA氏に懇願した。A氏がこれに応じ、6月27日に鈴木と西がA氏の会社を訪ね、借用書を作成することになったが、当日、鈴木が「西さんに社長への返済金の一部10億円を渡した」と言い出し、西も受け取った事実を渋々ながらも認めたため、鈴木は額面15億円の借用書を、西が10億円の借用書を作成し、A氏に差し入れた。
鈴木は同年12月24日に紀井を同行して10億円をA氏に渡したが、平成11年9月30日に債務を完済したとして「確認書」を受け取っているとの主張をしていたことから、その整合性を取るため、「10億円は手切れ金だった」とか「贈与だった」などと全く根拠のない言い訳をしたうえ、今度は「6月27日当日は原告には会っていない」と言い、また「西に10億円を渡したとは言っていない」とまで言って否定した。借用書は鈴木の自筆で書かれ、確定日付もあるから、そのような言い訳が通用するはずはなかった。(証拠 15億円、10億円借用書)
鈴木が前記の債務15億円について、「年内に返済するので10億円にして欲しい」と言ったことでA氏は了承した。同年12月24日に鈴木が紀井氏を同行してA氏の会社に10億円を持参したが、A氏が資金の調達先を尋ねると、「スイスの投資家を騙したもので、しばらく身を隠さなければならない」と言っていた。しかし、実際にはこれは合意書に基づく株取引の利益の一部であり、鈴木は株取引で利益が出ている事実を隠すために、そして、A氏との接触を避けるための方便として、そんな嘘をついた。
なお、A氏の鈴木に対する債権は、15億円(実際には10億円)の授受で精算したかのように見えるが、本来の債権額40億円超が減額された理由の「株取引の利益分配」が正当に行われておらず、また、10億円も返済金ではなく利益のほんの一部に過ぎなかったから、A氏が債権額を減額する根拠にはなっていない。しかも、鈴木は裁判ではこれを「手切れ金」と言ったり「贈与」と言い換えたりしていた。鈴木に対するA氏の債権は返済もないまま現在も存在しているのだ。
また、香港で西が殺されかけた事件で、鈴木が容疑者にされそうになったことについても、「私は過去に、海外のファンドマネジャーや投資関係者が殺人の容疑者にされ、その話が関係者に伝わっただけで完全に経済的に抹殺され、その人の周りの人間もおかしくなったという例を知って」おり、西が香港の事件を合意書と絡めて作り上げたと述べているが、そもそも鈴木は100億円以上の不正融資を巡る親和銀行事件で逮捕され、執行猶予がついたものの有罪判決を受けた。その時点で鈴木の社会的信用は完全に失われている。それが、仮に嫌疑が無ければ堂々としていれば済む話をことさらに恐怖を感じたとまで言うのは、明らかに意図的と言わざるを得ない。冒頭に挙げたように、この陳述書は平成19年4月10日に作成されたことになっているが、実際には進行している裁判に合わせた作文であることが明白なのだ。なぜ、これが偽証罪に問われないのか。日本の裁判制度の深刻な欠陥と言わざるを得ない。

(写真:長谷川幸雄。裁判終結後に弁護士を廃業した)

長谷川は鈴木が親和銀行不正融資事件で警視庁に逮捕された時にも弁護を引き受けていた。長谷川にとって、その時が鈴木と初対面だったかどうかは不明だが、公判が開始される前後から、鈴木は合意書に基いた株取引を始めて宝林株取引で約160億円という巨額の利益を手にしていた。それにより、長谷川は裁判では起訴事実を大筋で認めつつ、被害者となった親和銀行に和解を仕掛けることで最終的に執行猶予を勝ち取るという作戦を前面に打ち出した。もちろん、鈴木が実行した株取引はインサイダー取引や金商法ほかいくつもの法律に抵触していたから、長谷川に本当の話を全て打ち明けたとは思えない。しかし、公判で実刑が確定してしまえば、それこそ株取引で得たはずの利益が鈴木の手からこぼれ落ちてしまいかねないから、鈴木は助かるための知恵を長谷川に求めたに違いない。長谷川は鈴木の期待に応えるように動き、親和銀行との間で和解工作を進めた。その際に長谷川が頼りにしたと思われるのが、同行の顧問に就いていた田中森一弁護士(故人)だった。鈴木が西義輝から紹介を受け、田中を同行の顧問に推挙した経緯があるだけに、協力者としてはうってつけだった。

親和銀行との和解調書や鈴木に対する判決をみると、判明している不正融資金約100億円のうち、鈴木が約17億円を支払うことで、親和銀行は債務弁済を免除しているが、これは意外に少なすぎる金額である。エフアールと複数の子会社が融資を受けるために同行に持ち込んだ担保は、価値のない不動産や贋物の人造石など、融資金には全く見合わないものばかりで、せいぜいが3000万円前後に過ぎなかったことが和解調書には書かれている、それらの担保物件を同額で引き取ることに加え、鈴木が責任を問われた融資金の約17億円を支払うことで和解は成立したのだが、同行から不正融資を100億円以上も引き出すきっかけとなった辻田に対する美人局(ハニートラップ)に鈴木と青田光市が絡み、さらに不正融資に関わっていた総会屋や暴力団組長、そして同行の地元佐世保で宝石商を営んでいた副島義正らを排除する名目で田中弁護士を推挙した鈴木の責任は一番重いはずだった。
しかし、判決文では鈴木が持ち込んだ担保が融資金に見合わないことを知りながら盲目的に融資を実行した同行経営陣の責任の方が鈴木よりも重いとしたのだ。確かに公共性の高い金融機関の経営者が、自身のスキャンダルをもみ消すために不正融資に目をつぶり続けたことは大きな問題だが、それを仕掛け、さらに不正融資の主導権を握って同行の被害額を膨らませた鈴木の責任が辻田ら経営陣よりも小さなことは有り得ない。
このような判決を見る限り、長谷川と田中は、辻田が逮捕された後の同行経営陣に相当な工作をした。事件をきっかけに辻田ほか側近たちの影響力を完全にそいでしまうような教唆があったのではないかと思われるほどだ。それには同行の経営陣一人ひとりの情報を具体的に知る田中の存在が大きかったと思われるし、鈴木が長谷川と田中の要求に応えて相応の資金を用意したことも容易に想像される。

親和銀行との和解が成立したことで、鈴木は懲役3年、執行猶予4年の判決を受けた。鈴木は逮捕された後、約半年間で保釈されたが、先に長谷川が鈴木の弁護の方針で起訴事実を大筋で認めるとしたのは、検察官が保釈を認めたことにあるが、総額100億円以上の不正融資事件の首謀者であったはずの鈴木が保釈を認められることは、それほど容易なことではなかったはずだ。とはいえ、鈴木も実刑を覚悟していたに違いない。しかし、その後に西から持ち込まれた宝林株800万株の買収と、合意書に基いたA氏の買い支え資金の協力により、鈴木は蘇ったばかりか、さらにあくどさに磨きがかかったと言えるだろう。

(写真:平林英昭弁護士。代理人襲撃事件の実行犯が所属する暴力団総長と複数回面談するなど、弁護士の倫理規定に反した言動を繰り返した)

オウム真理教による無差別テロ事件を巡って、オウム真理教犯罪被害者支援機構が、破産した同教団の後継団体であるアレフほか全ての分派活動団体に対して損害賠償請求を申立てると発表した。既に主な実行犯の教団幹部に対する死刑が執行され、また事件が発生してから27年という長い年月を経ても罪が消えることは決してなく、30人を超える死者と6000人を超える負傷者を出した未曽有の事件で被害者や遺族となった人たちの傷が癒えることもまた決して無いことを明確に示している。この事件と同様に、鈴木による極悪な犯罪、そしてただ金のためだけで鈴木を擁護してきた青田光市や長谷川、平林、杉原等の弁護士たちほか全ての関係者も自ら犯した罪の深さを反省して、再審をするか謝罪をして償いをするか、残された選択肢は他にはない。

(写真:杉原正芳弁護士。鈴木が調達した外資系投資会社を装うダミー会社の常任代理人として金曜庁への虚偽報告書を提出した)

いつまでも沈黙し続けて謝罪も償いもしない鈴木に対する被害者たちの怒りや遺恨が消えることは未来永劫にわたって無く、また事件の詳細もネット情報誌やYouTube動画で発信されているだけに風化することなど有り得ないだけに、鈴木ほか関係当事者たちは家族や身内にも今後、さらに多大な影響が出るほど拡散するのは当然で、何十年、何百年経っても消滅することは無いと覚悟すべきだ。鈴木の犯罪行為が極めて重く深刻であることを受け止めなければならない。(つづく)

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