隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望

隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(1)

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ハニートラップで頭取を罠に エフアールを受け皿に不正融資が始まる
1998年5月 佐賀県に本店を置く親和銀行で頭取(辻田徹)の席をめぐって内紛が起き、現頭取が反対勢力のハニートラップに嵌った弱みを握られ、不正融資を重ねたことから警視庁に特別背任罪で逮捕、起訴される事件が起きた。

(写真:鈴木義彦)

この事件は辻田頭取側がスキャンダルを揉み消す為に総会屋で金融ブローカーの副島義正という男に仲裁を依頼したことから始まった。副島は関西の暴力団組長と協力してこの問題を終息させた。しかし副島らは謝礼として親和銀行に融資を要求する。親和銀行は副島らに直接融資をするわけには行かず、エフアールという宝石販売会社を受け皿にして迂回融資をした。そして、このエフアールの代表取締役社長が鈴木義彦で、鈴木こそが青田光市を使って辻田頭取にハニートラップを仕掛けた張本人だった。鈴木はエフアールにも融資をさせることを条件に親和銀行に取り入って行った。鈴木は模造ダイヤモンドや価値のない不動産を担保として融資を受け、その中から副島らに30億円を超える金額を渡したが、実際には鈴木は親和銀行には140億円を超える融資をさせていたのである。鈴木は自分が創業した富士流通を、エフアールに商号変更させた後の1991年に上場させ、創業者利益を獲得することを目論んでいた。そのためにはエフアールの株価を高値で安定させ一般投資家の興味をそそる必要があった。大した業績や資産基盤のない自社の株価を安定させるために粉飾決算を行い、上場の翌年9月期には売上高268億3200万円を計上したが、これも粉飾の疑いが濃厚だった。また、他人名義で自社株を購入して行かなくてはならなかった。その資金繰りに奔走しなければならない鈴木にとって親和銀行は恰好の金主であったのだ。

(写真:長崎に本店を置く親和銀行)

鈴木は親和銀行の味方を演じて副島らとマッチポンプを仕組んで莫大な不正融資をさせたが、その後には副島らも邪魔になり彼らを排除することを計画した。その時、僚友の西義輝の知人だった「ヤメ検」で「闇社会の守護神」と呼ばれていた田中森一弁護士(故人)を親和銀行の法律顧問として迎え入れさせた。それが功を奏して副島らを排除することにも成功した鈴木は尚も深く辻田頭取とその側近らに取り入り悪事を重ねていったのであった。しかしこのような悪事が続くわけがない。親和銀行不正融資事件が表面化する中で警察の手が入ることになり、鈴木も重要人物として警察に事情聴取されることになった。鈴木は自分が無事では済まない事を覚悟したに違いない。しかし、自分が逮捕されてしまうとエフアールの約束手形を担保にして高利で借りている債務の返済が出来ず、エフアールは手形の不渡りを出し、上場廃止になる。そうなれば今までの苦労が全て水の泡になってしまう。それだけは何としても避けたい。そのためには新規の借入先が絶対に必要だった。鈴木はそのことを西義輝に相談したのだった。
西は、親和銀行の経緯も熟知していて、知人の田中弁護士も紹介している。資金繰りに困窮していて八方ふさがりだった西が、親和銀行からの不正な融資金の一部を手にしていた可能性もあり、他人事ではなかったのだろう。鈴木はいつ逮捕拘留されるか分からない状況の中で西に縋るしかなかった。
A氏と鈴木の出会いは以上の経緯がプロローグとなったのだ。そして1997年8月頃に運命の出会いとなった。西はこの時、親和銀行事件には触れず、鈴木を上場会社の創業者でやり手の経営者としてA氏に紹介し、それから何回かA氏と西、鈴木の3人で飲食を共にした後に西がA氏に本題を切り出し、「エフアールの上場を維持するために無理な資金繰りをしていて窮地に追い込まれていますが、高利な債務を整理すれば必ず立ち直る人間です」と嘘をついてA氏に援助を願った。そこには自分の資金繰りも考えた邪な考えもあったのだろう。
A氏は、西の頼みを聞いて鈴木への貸付を承諾した。鈴木は実直そうな実業家を装い、武骨で男っぽい人間を演じてA氏から好印象を得ていた。鈴木は西からA氏が好む人間はどういう人間か、予めレクチャーを受けていたと思われる。

(写真:鈴木が借用書代わりに預けたFR社の約束手形)

A氏は他人が困っている人間を見過ごすことが出来ない性格だった。その上、長年弟のように面倒を見てきて信用している西の言葉もあって、鈴木を援助することにした。こうして西と鈴木の詐欺と裏切り、特に西の許すことの出来ない背信が始まった。鈴木には西以外に保証人はいなかった。担保となる不動産も無く、借入金額を記載したエフアールの約束手形だけを持参した。A氏は個人で金融の免許は所持していたが本業としていたわけではなく、知人友人に頼まれた時だけ担保も取らずに融資をしていた。鈴木への貸付でも、鈴木と西の要望で借用書代わりに約束手形だけを預かったが、西が「お願い」と題する書面をA氏に差し入れて、期日の3日前までに現金を持参する条件で約束手形を銀行から取り立てしない約束になっていた。これらの貸付条件をA氏は100%の好意と温情から守ったが、鈴木は最初の返済期日から約束を履行せず、西を代理人に立てて言い訳ばかりし、西もまた説明をはぐらかして実情を話さなかった。

(写真:「お願い」と題する書面。期限の3日前までに現金を持参するので、手形を金融機関に回さないで欲しいという趣旨の書面を鈴木と西が差し入れた)

こうして約9か月という短期間で約28億円という莫大な金額が融資された。この間には、事情を知らない人間には理解できないことも起きていたのだった。鈴木はA氏を欺きながら高利で借りていた債務を整理し、債務全額をA氏に纏めてしまった。そして1999年5月末に鈴木が逮捕された。
鈴木は、逮捕される3日前に珍しく1人でA氏を訪れ、それまでの債務の返済を一切していないにも拘らず、新たに現金8000万円を借り、ピンクダイヤモンドと絵画(合計3億円)を販売委託として借り出している。この時、A氏が聞きつけていた鈴木の逮捕情報を鈴木に知らせると、鈴木は驚いた表情で「本当ですか」と言ったが、それはA氏が、何故鈴木が逮捕されることを知っていたのか、ということだったのかも知れない。ただ、鈴木はそれでも怯むことなく融資を受け、販売委託も取り付けたのだ。A氏は鈴木が逮捕されることを知りながらこれに応じているが、これは第三者には理解できない事である。しかも、鈴木が持参した借用書を見ると、返済日が6日後の6月3日と書いており、A氏から逮捕情報を聞いてもそれを書き換えようともしなかった。それどころか、床に額をこすりつけるようにして土下座し、涙を流しつつ「このご恩は一生忘れません」とまで言ったのだ。A氏は「鈴木さん、そんなことはするものではない」と言って椅子に座り直すよう促したが、土下座をして涙を流すようなことをしても、借用書を見れば、鈴木には本気で返済する気などなかったことが分かる。その後、鈴木は逮捕拘留から半年を過ぎた12月中旬に保釈されたが、鈴木はA氏に挨拶をするどころか電話の1本さえかけることはなかった。そして、刑が確定するまでの約2年の間には以前にも増して鈴木と西の詐欺行為と裏切りが継続され、刑の執行猶予中には想像もできない鈴木の罠が待っていたのだった。(以下次号)

隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(2)

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保釈されても挨拶一つしなかった鈴木
鈴木は1998年12月中旬に保釈されたが、裁判所への保釈後の居宅の届出では、家族が住む神奈川県内の自宅ではなく、愛人サラと娘が住む都心のマンションにした。

(写真:鈴木義彦)

西の話によると「鈴木は自暴自棄になって毎日朝から酒を飲んで荒れ果てた生活を送っている」ということだったが、これは西の作り話である可能性が高い。西は、そんな鈴木の所に日参して励まし続けているともA氏に言った。そして、「気晴らしに温泉でも連れて行こうと思っています」と言うので、A氏は100万円を西に手渡した。
鈴木は、保釈されたにもかかわらず逮捕前のA氏の温情に対して謝意も示さず、挨拶にも行かずに西に近況を報告させるだけだった。これらの言動から鈴木が常人には考えもつかない自分勝手な恩知らずで、人間として最低の感覚の持ち主だということが察せられる。しかし、A氏は西の話を聞き、鈴木の今後を気にかけていたのだった。そんなA氏の様子を窺っていた西は、鈴木が再起するための援助をA氏に願い出た。西は、A氏が所有する上代が10億円もするバセロンやピアジェ、パテックス等の超高級輸入時計13本(合計で上代50億円相当)をあたかも購入してくれる人間がいるかのように話し、販売委託としてA氏から預かった。この時、西は「鈴木義彦代理人」と書いた預かり書をA氏に差し入れた。これらの商品は金融会社に担保として持ち込み資金化して鈴木と西が流用した。しかし、これらの商品代金がA氏に支払われることはなく返還期日になっても戻されなかった。これも鈴木が西を利用しての無関係を装う手口だった。この一件も狡猾で悪どい鈴木の人間性を如実に表している。しかし、西も鈴木も再起するために必死だったことは事実だったようだ。2人は現状を抜け出すには「株で勝負するしかない」という考えに至った。資金は無かったが、金主を見つけるにはそれなりの内容のある情報が必要だった。親和銀行事件で保釈中の鈴木は表立った動きが出来ないために西が必死に情報収集に奔走した。そんな時、西の知人で勧業角丸証券の平池という課長から「宝林株800万株」の売却情報を入手した。西は、情報の真偽を確かめるために綿密に調査し、宝林の社長と面談するなどして倒産の危険性が無いことや売却側との面談で確かな手ごたえを掴んだ。売却金額も約3億円というところまで交渉は進んだが、2人には金主の当てが無かった。さすがに今までの債務を一円も返済していないA氏に、新たに資金援助を依頼するのは気が引けたが、他に2人の金主になってくれる人はいなかった。西は宝林株情報により成功する手ごたえを掴んでいて「このチャンスを掴めば社長への債務を返済できるかもしれない」と考え、思い切ってA氏を訪れ3億円の資金援助を懇願した。それまでの経緯を踏まえると、さすがのA氏も躊躇したに違いないが、2人から債権を回収する方法を模索していたA氏は、いつになく真剣に話す西の様子を見て3億円の資金援助を承諾したのだった。西が早速鈴木に報告すると、鈴木が宝林株購入の「受け皿」となるダミー会社を準備すると言った。西の報告を聞いた時の鈴木の心境は如何なるものであっただろうか。鈴木は、西の報告を受けて旧知のフュージョン社の町田修一に連絡を取り、事情を話して海外のダミー会社3社を準備することに成功した。この時、既に、鈴木には利益を独り占めにするという悪魔のような陰謀が渦巻いていたに違いない。これが大悪党鈴木の「第2幕」の幕開けだった。

(写真:宝林株の大量保有報告書。購入資金3億円はA氏が出したが、鈴木は資金の出所を偽り、紀井氏の名前を無断で記載した報告書を提出した)

A氏の、第三者には考えられない大きな器量のお陰で宝林株を購入した2人は、売却の為の準備に入った。しかし、鈴木のA氏への裏切りはすでに始まっていた。鈴木はA氏に内緒で旧知の証券マンで外資系証券会社に勤める紀井義弘に宝林株の概要を話し、「儲け折半」という甘言を弄して自分のスタッフとしてスカウトしていたのだった。そして、もう一つA氏に内緒で鈴木はダミー会社3社の常任代理人として杉原正芳という弁護士を就任させていた。鈴木は購入資金の出所を隠す為に金融庁に提出する「大量保有報告書」には「紀井義弘からの借入」と虚偽の記載を杉原にさせて提出させた。これは、後日の為にA氏との関りを隠す為だった。「後日の為」というのはA氏を宝林株購入に関わる一連の経緯から除外しようとする思惑で、鈴木が得られた利益の独占を謀っていた事は明らかだ。現に裁判でも鈴木は「宝林株の取得資金3億円を出したのはAではない」と強く主張したが、その根拠が三転も四転もして、全く信憑性がなかった。鈴木は大恩人のA氏をまるで「仇」のように扱い、裏切りを重ねていった。人間の血が流れているとは思えない鈴木の所業だった。何が鈴木をそこまでの裏切りに走らせるのか、想像もできない次元の大悪党だという事が言える。
「宝林株」は市場で売りに出されたが、資本家が興味を持つような好材料も無く株価は停滞したままだった。株式取引に精通していた西と鈴木には、それも想定内だったのではないだろうか。市場で売り出して一か月が経過した頃、鈴木は西を伴ってA氏を訪れた。この日の鈴木は何時になく真剣な面持ちだったらしい。鈴木はA氏に「私はこれまで株取引では20~30億円の授業料を払ってきました。私の経験から宝林株は必ず儲かります」と言い、珍しくA氏と面と向かって熱弁を振るった。そして「宝林の株価を上昇させるには継続的な買い支え資金が必要で、社長に協力して欲しいのです。協力してもらえないと、私も西会長も社長に債務を返済できません」と交換条件ともいえる高飛車な態度でA氏を説得し、買い支え資金の供出を懇願した。A氏は熟考しながらも鈴木と西の熱心な説得に応じるような形で資金協力を承諾した。そして西の提案で今後の株取引に関してお互い(A氏、鈴木、西)の役割分担と利益配当金の割合を明記した「合意書」を作成し、A氏、鈴木、西がそれぞれ署名指印したのだった。この「合意書」締結後のA氏による買い支え資金支援により株価が徐々に上がり始めると、一般投資家も興味を示すようなり、宝林の株価はさらに上昇し始めた。そんな時、有名な相場師の西田晴夫が相場に参入して来た。西田の参入により相場に火が付き、宝林株は急激に高騰した。

(写真:合意書)

A氏が買い支え資金を投入し始めて1か月が経過した7月30日、西が「宝林株の売買利益です」と言って15憶円の現金を持参した。「合意書」には「経費を差し引いた後の利益を3等分」と記載があった為にA氏は自分の取り分は5億円だと思っていたが、西は「私と鈴木の取り分の合計10億円は債務の返済金として社長にお支払いします」と言い、15億円全額をA氏に手渡した。ところが、この15億円には大きな罠が仕掛けられていたのだった。その事は後日判明するのだが、この時のA氏は、「鈴木と西に買い支え資金を提供した事が間違っていなかった」と安堵し、今後の債権回収に大いに期待を持った事が想像できる。A氏はこの日、2人の心意気に好意を持ち、受け取った15億円から5000万円ずつ合計1億円を「君たちも、もの入りだろうから持って行きなさい」と言って西に渡している。この日は西1人だったが翌日の31日に西と鈴木がA氏の会社を訪れ、前日のお礼を言いながら宝林株株取引の報告をしたようだ。しかしこの日の鈴木は嘘の報告をしている。どのような報告をしたのかは明らかではないが、実際には宝林株の売買利益はこの時点で約50億円、そしてその後も株取引を継続させた結果、最終的には約160億円だったのに、鈴木も西もそれを明かさなかった。鈴木と西が真実を報告し、債務を全額清算して「合意書」に基づいた株取引を再スタートしていれば確固たる信頼関係が築かれ、3人の株取引の前途は洋々としていた事だろう。しかし、鈴木はとんでもない悪魔だった。鈴木はA氏を裏切り、売買利益の独り占めを目論んでいたのだった。宝林株の購入資金をA氏が出すことが決まった後、フュージョン社の町田と組んでダミー会社3社を設立し、証券マンの紀井氏をA氏に内緒でスカウトし、杉原弁護士に金融庁への提出書類を偽造させたのも、全て宝林株取引が成功した時の準備であったと思われる。あくまでも想像に過ぎないが、このストーリーは、鈴木が親和銀行事件で逮捕拘留されていた時に留置場で考えていた計略の実践ではなかっただろうか。鈴木にはA氏の温情に感謝する気持ちは微塵もなく、恩返しをしようとする事も眼中になかったように思う。ただ、A氏の資金を利用して己だけの栄華を画策していたのだった。A氏との関係は、ある程度先が見えるまでは絶対に維持していかなければならない。その為には西を最大限に利用しようと考えていた。

粉飾でエフアール社を上場させ、さらに資金繰りが悪化
ここで、鈴木と西が知り会ってA氏に会うまでの事を詳しく振り返ってみる。
西は、鈴木と知り合った1996年頃、A氏の支援を受けて「東京オークションハウス」という会社を経営していた。この会社は、バブルが崩壊した後、高額な宝石貴金属や絵画、不動産等を所有していて処分に困っているセレブ達が東京オークションハウスを介して売買できるというシステムを構築し、マスコミも注目する事業会社だった。鈴木はエフアールの常務だった天野と数名のスタッフをオークション会場に偵察に行かせた。盛況を呈しているオークション会場を見た天野常務は社長の鈴木にありのままを報告した。この頃、高利の借入に困窮していた鈴木は天野の報告を聞いて西という人間に興味を持った。そして、天野常務を通じて西に面談を申し込んだ。この頃の鈴木も表向きは上場会社の創業者であり、代表取締役社長として貴金属宝石業界ではある程度その名前が知られていて、まだメッキが剥げていなかった。西は数度の面談申し込みがあったために鈴木の要望に応えた。鈴木と西は食事を共にしながらお互いの事業の話をし、共通の話題であった株取引の話題で盛り上がったようだ。鈴木はオークション事業に興味を持ったように装い、事業に参入したいと西に訴えた。西もA氏の援助で順風満帆にオークション事業を展開しているように見せかけていたが、実はA氏に内緒で株取引や夜の社交場等での浪費が祟り、資金繰りは悪化していたのだった。2人はお互いの内情を隠して意気投合したように見せかけながら互いを観察していたのだった。狡猾な鈴木のことだから、西の背後関係も調査していた事は容易に想像できる。何回かの面談を重ねた頃に鈴木は、西にエフアールの内情を話し、資金難に陥っている事を打ち明けた。この時、鈴木は自分が直面している親和銀行の事も打ち明けたと思われる。しかし、話を聞いた西は自分ではどうすることも出来ない金額だったために即答する事は出来なかった。鈴木と西は連日、この窮地を脱する為の方法を話し合った。鈴木はこの頃、西のスポンサーが新宿の会社社長(A氏)だという事を調べ上げていたが、自分からは口に出さなかった。一方、西はこれ以上A氏に資金援助を依頼できる状況ではなかったが、鈴木も西も金融業者への返済が遅れていて借入は出来ない状態にあった。特に鈴木は簿外で振り出したエフアールの約束手形を担保に預けていた為、不渡りを出す寸前だったようだ。不渡りを出せばエフアールが上場廃止になるだけでなく、鈴木自身も刑事責任を問われることになる。鈴木にとってこれだけは絶対に避けなければ元も子もなくなってしまうのだった。西もこれ以上A氏に協力を依頼する理由が見つからなかった。そして2人はここで恐ろしい計画を思いついた。
西は、鈴木をA氏に会わせることを決心した。自分の資金繰りのためにA氏に依頼することは出来なくても、上場会社エフアールの創業者であり代表取締役の鈴木の名前を使ってA氏を説得すれば何とかなるのではないかと考えたのだった。この考えは鈴木にとって思う壺だった。 数日後、西は鈴木を伴ってA氏を訪れた。

(写真:鈴木が借用書代わりに預けたFR社の約束手形)

鈴木を紹介する際に西は鈴木を遣り手の上場会社の創業者としてA氏に説明した。それから3人で飲食を何回か重ねた後、西が資金繰りの相談をし、鈴木は神妙な態度でA氏と面談し、厳しい資金繰りの中で高利の金融会社から借り入れをしなければならなくなった経緯を誠実そうにみせながら事実を隠して説明し、A氏に「何とか今の窮地を救っていただけないでしょうか」と懇願した。西も、「この状況を乗り切れば鈴木氏は必ず立ち直れるだけの力を持っている。何とか協力してやってくれませんか」と懸命にフォローした。ある意味、西も自分の資金繰りの事も含めて必死だったのだろう。西と鈴木は、鈴木がA氏から首尾よく融資を受けられた時には、その中から西に融通する約束をしていたと思われる。西と鈴木の演技によってA氏はこの時、西の紹介でもあり、上場会社の創業者である鈴木に悪い印象は持たなかったようだ。そして「高利の借入を整理すれば道は開けるのではないか」という考えに至っていた。
鈴木への融資に熟考を重ねたA氏だったが、「困った人を見過ごしにできない」という生来の男気と大きな器量が後押しして鈴木への融資を決断した。これは、A氏に豊富な資金がある事を知っていた西の悪知恵に相違ない。これが1997年(平成9年)8月頃の事だった。しかし、西と鈴木にはA氏から融資を受けても返済をする裏付けなど全くなかったのだ。A氏は西と鈴木の話を全面的に信用し、2人の罠に嵌ってしまった事になるのだった。(以下次号)

隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(3)

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(写真:鈴木義彦)

宝林株で160億円もの利益を上げたにも拘らず、A氏に隠していた鈴木は、第1回目の宝林株の配当を支払った7月30日以降、西に言い訳をさせながらA氏との接触を避けて隠匿している資金を運用して新たな株取引を始めていた。好条件で雇い入れていた紀井氏に売りの指示を出していたが、株価の上昇を促すのはA氏から買支え資金の支援を受けていた西の役目で、紀井氏は売りのタイミングを間違えさえしなければ、利益が間違いなく得られる仕組みだった。鈴木は株価の維持や高値誘導に金も時間も取られることなく、仕掛ける銘柄の仕込みに精力を傾ける事が出来た。株価が乱高下する中で利益を出さなければならない鈴木にとって、株価の高値誘導のための資金の心配をしなくていい、どころか利益が確実に見込まれるだけに、これほど都合のいい話はなかった。鈴木は銘柄を仕込む環境づくりと称して、西に指示して銘柄企業との交渉の窓口となる「ファーイーストアセットマネージメント」(FEAM社)という会社を設立させ、運転手付きで高級外車のベンツを手配させただけでなく、役員報酬を出すよう要求した。さらに鈴木の実父と愛人(サラ)にそれぞれ60万円と50万円の給与まで出させたのだ。鈴木はこの時、西に「かかった費用は後で必ず清算する」と言っていたが、実際には補填しなかった。また、西は西で、費用の全てをA氏からの買支え資金の一部を流用していたようだ。こうした中で鈴木は利益の大半を隠匿しつつ相場を操作し、さらに大きな利益を獲得していった。ちなみに、親和銀行事件の被告だった鈴木には公判の成り行きに気掛かりがあったのか、鈴木と一緒に逮捕起訴されたエフアール専務の大石高裕氏の「口を封じたい」と言って、西に大石氏の妻に5000万円を渡す依頼をし、西はFEAM社からその資金を用意してわたしていた
しかし、鈴木の頭の中にはA氏と締結した「合意書」の存在が常にあった。A氏に「合意書」の履行を追及されると厄介な事になる事は分かっていて、何としても「合意書」を破棄しなければならないと考えていた。そこで鈴木は西に「このままでは我々の取り分がほとんどない。2人で利益を折半するために合意書を破棄してAを切り離したい。何とかAが所持する合意書を破棄できないだろうか。成功すれば10億円の報奨金を払う」と悪魔のような囁きをした。当初からA氏からの融資の分け前を受け取るという密約を交わしていた西は10億円という報酬に目が眩み、鈴木の提案を受け入れて、合意書破棄の陰謀に加担する約束をしたのだった。この10億円は、その後、「合意書を破棄した」と言う西の言葉を受けて、数回に分けて紀井氏から西の運転手の花館聰を経由して西に支払われたのであった。
更に鈴木にはもう一つの恐ろしい計画があった。それはA氏に預けている約束手形の回収であった。エフアールは上場会社の為、年1回の決算には会計監査が入る。その時に使途不明の手形を発行していることが発覚すれば監査が通らない。監査をクリアしないと上場廃止の処分を受ける事になる。前年の決算時は、鈴木が親和銀行事件で拘留されていた為に西がエフアールの天野常務の依頼で13枚の手形を一時的にA氏から預かり、会計監査を潜り抜けていた事を鈴木は天野から聞いて知っていた。
A氏もまた前年の事があったため、平成11年の9月の決算時にも鈴木の依頼を受けて来た西の申し入れに協力しようとした。しかし、西から「債務完済の書類」も依頼されたために躊躇したが、西が「あくまでも便宜上の事です。私が一筆入れますからお願いします」と言ったために、訝しく思いながらも協力したのであった。A氏は2カ月前(7月30日)の15億円(宝林株利益配当と2人の債務返済金)を受領している事もあって、深く疑う事は無かったのではないだろうか。しかし、これが鈴木の悪辣な罠だったのだ。鈴木は、こんな大事なお願い事を西1人で行かせ、電話で「無理を聞いて戴いて有難うございました」と礼を言うだけであった。この時の約束手形13枚(金額合計約17億円)は決算終了後もA氏の手許に返還されず、便宜上で書いた「債務完済の確認書」が後の裁判で鈴木に理不尽な主張をさせることになるのであった。鈴木の陰謀は留まるところがなく、益々A氏を窮地に追い込んで行った。
鈴木は、親和銀行事件で逮捕されたのが平成10年5月末、未決で保釈されたのが同年12月、そして刑が確定(懲役3年・執行猶予4年)したのは平成12年9月だった。この間(約2年10か月)に西と結託してA氏を裏切り、株取引で莫大な資金を稼いでいたのだった。鈴木は有罪判決が確定した事でエフアールの代表取締役と株主の権利が剥奪され、社会的制裁を受けたが、株取引で莫大な資金を獲得した鈴木にはたいしたダメージは無かった。
海外に設立したダミー会社名義で株取引をしていた為に、表面には全く鈴木の名前が出ていなかったが、証券業界の一部では鈴木がA氏からの資金で大儲けしている噂は語られていたようだ。それにしても親和銀行事件での鈴木の判決は異常に軽いものだったが、親和銀行への損害賠償(和解)金は約17億円という莫大な金額だった。エフアールの創業者としての立場や代表取締役、大株主という立場を失った鈴木には支払える資金などある筈が無かったにも拘らず、鈴木は支払った。宝林株の利益金約160億円を隠匿していた鈴木にとっては苦労なく支払える金額だった。損害賠償金を支払ったからこそ懲役3年・執行猶予4年という判決が出たのだと想像できる。この判決には西の紹介で親和銀行の顧問弁護士に就任していた田中森一弁護士と鈴木の代理人であった長谷川弁護士の間で「談合」があった事は間違いのないところだろう。田中弁護士は西を通じて鈴木が莫大な資金を有していることを聞き、長谷川弁護士は鈴木本人からA氏との経緯や隠匿している資金のことを聞いたうえで鈴木が約17億円という損害賠償金を払えることを確信して田中弁護士と談合したに違いない。この談合が功を奏し、考えられないような軽い刑が決定したのだ。田中弁護士、長谷川弁護士はこの時、鈴木の悪行ぶりをほぼ全て知ったと思われる。そして、口止め料として田中弁護士には多額の報酬が支払われたと思われる。田中弁護士は「裏社会の守護神」と呼ばれ「ヤメ検の悪徳弁護士」として有名だったことを考えれば不思議な事ではない。また、長谷川弁護士もこの時から鈴木の全ての悪事を把握していたのは間違いのない事で、高額な報酬を受け取っていたと思われる。西も同じく田中弁護士の紹介者として鈴木から礼金を受け取っていたと考えられる。これらの金は全て裏金の為、現金で処理されどこにも証拠は残っていない。「法の番人」と言われる弁護士が高額な報酬と口止め料の為に、鈴木のような法を恐れない悪人に加担したという呆れた一幕であった。

(写真:親和銀行本店)

親和銀行事件でエフアールの創業者利益を逃した鈴木は、表面的には第一線を退いたように見せかけ、実際はエフアールの実権を離さなかった。鈴木は、A氏を騙して蓄えた豊富な隠匿資金を利用してエフアール株を大量に購入し、相場を操作したのだった。この相場には宝林株にも参入した西田晴夫も参戦し、宝林株相場で親しくなった鈴木と共同戦線を張った。エフアール株を大量に仕込んだ鈴木は増資を誘導し、第三者割当の発行やユーロ-債の発行を立て続けに実行して約40億円の売買利益を得た。この相場には「セレブ夫妻殺人・死体遺棄事件」の被害者としてマスコミを大いに賑わせた霜見誠も参加していたのだった。霜見も多額の利益を上げたようで「エフアール株相場で人生が変わった」と周囲の知人に話していたという。鈴木と霜見の出会いはこの時だった。この時点で鈴木の隠匿している売買利益は300億円に達していた。鈴木はスイスの隣国リヒテンシュタインに「JOF」というファンドを組成してファンドマネージャーに霜見を据えた。JOFのオーナーはダミー会社の名前を使い表面的には鈴木の名前は出ないようにしたが、実質は鈴木がオーナーだった事は周知の事実だった。鈴木は、霜見に指示してクロニクル(旧エフアール)の株を大量購入しエフアール株の時と同様の手法で莫大な利益を得たのだった。この売買利益も霜見の協力でタックスヘイヴン地域のプライベートバンクに移動させていた。この事で霜見は鈴木の秘密を知る事になった。
鈴木には紀井氏とは別にもう一人スカウトした茂庭というスタッフがいた。茂庭は自主廃業した山一證券の海外駐在社員として活躍していた人間で、タックスヘイヴンに関する知識も深かった。鈴木が日本の株式相場で得た利益金の管理を任されていた経緯から、紀井氏とは違った立場の「懐刀」だった。一方、JOFはクロニクルの相場が終息すると自然消滅するように証券業界で名前を聞かなくなった。鈴木はクロニクルを株主という立場で支配することに成功した。鈴木は、相当に深い株取引の知識を持ち、用意周到な準備と違法を厭わない手法で倍々ゲームのように資産を増やして行った。それもこれも、元はと言えばA氏の援助で始めた株取引であり、本来ならばA氏に債務を完済し、「合意書」通り経費(買い支え資金)の清算をしたうえで配当金を支払わねばならなかったのである。鈴木のやったことは「坊主丸儲け」に等しく、元金も買い支え資金もA氏を騙して援助させ、利益を独り占めにするという前代未聞の大悪党が鈴木義彦という男なのだ。
西は、ここまでの鈴木の悪知恵には気付いていなかったようだが、30億円の配当金は受け取っていたことを自ら明かしている。鈴木と西は全てをA氏に内緒にして裏切り続けていた。そうとは知らずにA氏は2人からの色よい報告を待ち続けていたのだった。西はこの時点においてもA氏に「買支え資金」を依頼していてA氏はその依頼に応じていたようだが、西が依頼してA氏が協力していた「買い支え資金」はどのように使われていたかは西以外誰も知らなかったのではないか。多分鈴木も知らなかった可能性がある。A氏の被害額は雪ダルマのように膨らんで行った。(以下次号)

隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(4)

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(写真:鈴木義彦)

鈴木はA氏を裏切りながら多くの銘柄に投資をし、インサイダー同然の取引を繰り返して莫大な資金を隠匿していたが、そんな鈴木にも危機が訪れた。2001年(平成13年)6月頃に扱った志村化工株で証券取引等監視委員会(SEC)にマークされ、相場操縦容疑で東京地検特捜部の事情聴取を受ける事になった。この相場には鈴木の指示を受けて西も参加していた。地検特捜部は鈴木を首謀者と見越していたようで、鈴木を追い詰めるために周囲の関係者の家宅捜査や事情聴取を実施して証拠固めをしていた。西も地検特捜部に呼び出されて厳しい取り調べを受けていた。そんな最中で鈴木は西を訪れ「私の事は絶対喋らないでほしい。私を助けてくれたら今後、会長(西の事)の言う事は何でも聞く」と土下座して必死に頼んだ。西は、この頃には鈴木が莫大な売買利益を隠匿している事に気付いていたようだ。西は、鈴木が逮捕されると莫大な隠匿資金が没収され、全てが水の泡となってしまう事を恐れた。西も金欲にかけては鈴木に勝るとも劣らない考えを持っていた。西は鈴木の願いを聞く事で今まで好き放題して来た鈴木との関係を逆転できるチャンスが到来したと考えた。西は鈴木と綿密に打ち合わせをし、鈴木から「現状の売買利益金を山分けする」という密約をさせた。狡猾な鈴木は、自分の身を守るために一時逃れに過ぎない密約を西に同意させたのであった。西は特捜部の事情聴取で徹底的に鈴木を庇った。その結果、鈴木は逮捕を逃れ、西が罪を被った。西は懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けたのだった。鈴木との密約の中には西が逮捕、拘留されている期間の生活費や裁判費用等を全面的に鈴木が負担するという約束も含まれていたが、さすがに鈴木もその約束は守った。しかし、刑が確定して執行猶予の身となった西に、鈴木は「今後、資金を出すのは止めにしたい」と言い、西を切り捨てにかかった。それでも西は鈴木と面談を重ね、逮捕前に交わしていた密約の書面(英文)にある利益配当を執行猶予明けに履行するよう求めたようだが、その密約の書面が後のA氏と鈴木の裁判で証拠として法廷に提出されなかった。西の執行猶予が切れる数カ月前、西と鈴木は利益配当金の支払いについて具体的な打ち合わせをした。鈴木はこの頃には会長と呼んでいた西の事を「西さん」と呼ぶようになり、西と約束していた資金援助も実行しなくなっていた。鈴木の態度の変貌に西も驚いたが、大事な利益配当の約束を実行させるために我慢したのではないか。また鈴木は、西が面談の中でA氏への約束の事を言うと「Aと自分とは既に清算が済んでいる。Aが何か言ってきても自分には関係ない。後は西さんの方で処理してくれ」と平然と言っていた。このように間もなく執行猶予の満期を迎える西に対して鈴木の態度は冷酷さを増していた。そしてA氏に対しては感謝もせず、合意書に記載された事項を履行する気持など微塵もなかった。しかし、西との密約だけは実行されることになり、実行日は執行猶予明けの2006年(平成18年)10月2日、支払場所は香港、支払方法は銀行小切手、金額は43億円となった。利益総額の1/3に当たる残額は西が開設するプライベートバンクへ送金するという事で決定した。西はこの数日後に、何を思ったのかA氏に香港への同行を依頼している。A氏は「何のために」という事を知らずに同行を承諾したが、出発間際になって西からキャンセルの連絡が入った。この時の西の心理状態はどのようなものだったかは不明である。西は、息子の内河陽一郎を同行して香港に渡った。以下は西が語った香港での事件の概要である。
――香港に渡った直後に鈴木から「急用で行けなくなった。TAMという男に代行させるので連絡を取り合って取引を実行してほしい」という電話が入った。西は訝しく思ったが、TAMという男とは以前に会った事があったので鈴木の指示に従う事にした。
取引は1日延びて4日という事になり、西は一人で指定された場所に向かった。西はTAMから渡された書類にサインし、銀行小切手で合計43億円を受領した。無事取引が終了した後、TAMが「鈴木からのプレゼントです。乾杯しましょう」と言って高級ワインを出し、2人は乾杯した。ところが西はワインを飲んで数分後に意識不明になった。翌朝、ベイサイドの砂浜に瀕死の重傷を負わされて放置されていた。着衣は乱れ、受領した銀行小切手と携帯電話、書類等が入ったバッグは無くなっていた。西は地元の警察に発見され救急車で病院に搬送された。連絡を受けた息子の陽一郎は驚いて病院に向かった。西は未だ意識が回復しておらず、息子の陽一郎が東京のA氏に電話して事件の報告をした。連絡を受けたA氏は何が起きたのか理解できなかったが、うろたえて訳の分からない言葉を発する陽一郎を落ち着かせて事件の概要を知った。重傷を負わされた西は、その後、香港警察の事情聴取を受けたようだが、その時も鈴木の名前は一切出さず、事件内容の真相も明確には話さなかった】
2006年(平成18年)10月13日、A氏は、それまで直接鈴木に連絡を取ったことは無かったが、香港事件を聞いて鈴木の事務所にいる紀井氏に電話をした。A氏は電話に出た紀井氏に鈴木との連絡を依頼した。鈴木宛の電話には「海外に行っていて不在」と言うように指示されていた紀井氏は、A氏に対しても同様の話をしたが、それまでA氏との接触を極力避けていた鈴木はA氏から直接電話がかかったことにひどく狼狽した。A氏を裏切っている後ろめたさもあったからに違いないが、紀井氏から「電話をした方がいいのでは」と言われ、ようやくA氏に電話した。A氏が「至急会いたい」と言うので、鈴木はA氏の会社に行くと伝え、すぐにも事務所を飛び出すように出てA氏の会社に向かった。
会社に姿を見せた鈴木に、A氏が手許にある「合意書」を示し、株取引の現状と約束の履行に対する説明を求めた。鈴木は西に10憶円の報酬を払って「破棄」させた筈の「合意書」を見せられ動転した事だろう。しかし、悪党として修羅場を潜ってきた鈴木は、辛うじて平静を装い、「合意書なんて関係ないですよ」と嘯いた。しかし、それに怯むA氏ではなく、西が香港で襲撃された事を話し、鈴木に嫌疑がかかっている事も告げた。鈴木は、西に連絡を取ってくれるようにA氏に頼んだ。西はA 氏の電話に出て3日後の10月16日に鈴木を交えて「合意書」の履行について3人で話し合う事になったのだった。
香港事件は鈴木の仕業だと確信していた西は、既に帰国していて、話し合いの前日の15日に鈴木の株取引の業務を任されている紀井氏に会い、香港での事件を話した。それを聞いた紀井氏は自分の身にも危険が及ぶのではないかと感じたようだ。西は紀井氏を口説いて鈴木の株取引の実態を聞き出した。紀井氏の話は詳細に及び、西は、鈴木が株取引で得た利益が約470億円に達していて、その大半を隠匿していることを知った。(以下次号)

隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(5)

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A氏が鈴木と会い「合意書」を提示して詰問してから3日後の2006年(平成18年)10月16日、A氏の会社に鈴木と西が集まった。この日の話し合いは最初から剣呑な空気が漂う中で始まった。鈴木と西は初めから激しい言葉でお互いを罵倒し合い、話し合いが進展する気配が見えなかった。それを見かねたA氏は「外の喫茶店へでも行って2人共頭を冷やして来い。これでは話し合いが出来ない」と激怒したほどだった。鈴木と西は口論を止め黙り込んでしまった。しばらくしてA氏が口火を切り、漸く株取引の利益金の話になった。この話し合いは、鈴木が一応は「合意書」を認めた事から始まった証でもあった。鈴木は、合意書に基いた株取引が実行されたのは宝林株だけで、その清算は済んでいるはずだと主張し、その後の株取引があったとしても、それは合意書とは関係ないとまで言った。それでも、多くの銘柄を仕掛けて巨額の利益が出ている事実を鈴木の側近が暴露しているという話を西がすると、鈴木は慌て、「誰が言っているのか」と執拗に名前を言うように迫った。当初は拒んでいた西もA氏に促され、ようやく紀井氏の名前を出すと、鈴木の態度が軟化し始め、最後には利益が50億円だと言い出したが、すぐに60億円に訂正し、A氏と西に25億円ずつ、合計50億円を支払うと言った。

(写真:和解書)

そして、西が事前に用意していた「和解書」の金額欄に50億円と書き署名指印したのだった。すると、西が「それでは社長が他から借りている金の返済金にもならない」と言うと、鈴木はA氏に向かい、「西の言い方が気に入らないので、和解書には書きませんが、社長には別に2年以内に20億円を支払います。社長、信じて下さい」と言った。西から利益額が巨額であることを聞いていなかったA氏は一先ず鈴木の言葉を信じ承諾した。しかし西は、前日に紀井氏から鈴木が470億円もの利益を獲得していることを聞いていた為、25億円ずつの配当には激しく抵抗した。A氏も60億円の利益金に対して自分と西に合計50億円の配当金を支払うと約束した鈴木を不審に思ったが「鈴木自らが言っている事だから」と思い、特に異論を挟まなかったようだ。鈴木と西は、またもや激しい口論を始めた。西はこの時に何故470億円の話をしなかったのか。また3人がこの場で「合意書」に記載されている経費(買支え資金を含む)の処理については全く話をしなかったのか、A氏にとっては大いに悔やまれることではなかっただろうか。後日に判明する事だが、この時点でA氏が援助した買支え資金のうち最低でも約58億円の損失が出ていた。鈴木が言う60億円の利益には58億円が加味されていない。利益配当金に協議が集中していて大切な確認事項が抜け落ちていたのだった。これも鈴木と西の思惑だったのではないだろうか。この事が後々の鈴木の利益隠匿を膨大にさせることになるのだが、この時、A氏は鈴木を疑いもしなかった。それは、鈴木が「社長には大変お世話になったので2年後には別途20億円を支払います。西の言い方が気に入らないので和解書には書きませんが、私を信じて下さい」と言い切った為でもあったのではないか。鈴木はA氏との話し合いの中に必ずA氏が安堵するような言葉を仕込んでいた。そして西は香港事件についても深く言及していない。それにも拘わらず、鈴木は、「香港事件の犯人に仕立て上げられそうになり恐怖を感じ、心にもない約束をさせられた」と裁判で主張し、裁判所は鈴木の「心裡留保」を支持したのであった。この日の「和解協議」は鈴木と西の共謀であってA氏をひとまず安心させるためのものであったように思う。鈴木は和解協議後、A氏の様子を見るように珍しく自分から電話してきたり、A氏の会社に訪れて具体的に配当金支払について打ち合わせをするように装い、経費(買支え資金)についてワザと西に確認しをしてもらい、「その分は利益金から差し引かなければならないですね」と言いながら何の対処もしていない。鈴木と西は、協議の日までの3日間にどの様な策略を練ったのだろうか。これは想像の域を超えないが、鈴木は、見せかけの和解書を作成するだけで配当金の支払いを履行する気は毛頭なく、西もそれを承知したうえで激論を交わす振りをしながら、またしても自分達だけの分け前を密約で交わしていたのではないだろうか。そして悪知恵の働く大悪人の鈴木は、香港事件の事もあってそろそろ西も排除しようと考えていたと思う。利益金の独り占めを狙う鈴木にとって全ての秘密を知っている西は最大の邪魔者だった。鈴木が「和解協議」の約1ヶ月後にA氏に宛てた「和解協議白紙撤回」の手紙の内容が西を排除しようとする鈴木の意図を明確に表している。和解協議後の西の動向は不明だが、鈴木のA 氏に宛てた1回目の手紙には「西と紀井の裏切りによって日本に居られなくなった。西が同席した話し合いは全て白紙に戻す」といった事が書かれている。そしてA氏には「利益配当金については支払方法も含めて再考してほしい」と書いている。この時点での鈴木の手紙には、A氏に対しては支払を履行する意思があるように書かれている。

(写真:A氏に宛てた鈴木の手紙。西を嘘つきと決めつけ、紀井氏を裏切り者と言って、和解書の支払約束を反故にする内容だった)

この手紙2通は、鈴木が「合意書」と「和解書」は自分が納得して署名押印したものであると白状した重要な証拠書類ではないだろうか。しかし、後日の裁判では裁判長である品田裁判官はこの手紙を一切支持せず、「合意書」は「合理性に欠ける」として無効にし、「和解書」は「心裡留保」によって無効とした。この判決は明らかな誤りであり不条理極まりない誤判であった。この誤審判決の経緯や結果については後の章で書く事にする。
話は戻るが、A氏に宛てた2回目の手紙に鈴木は、A氏と直接話し合いをすることを拒み、1通目の手紙と同様に平林という弁護士と青田という知人を代理人にする事を通知してきた。A氏は平林弁護士を通じて「直接の話し合いを希望する」旨を手紙に書いて通知したが、鈴木は聞く耳を持たなかった。そして、鈴木が平林弁護士と青田を代理人にした事で、この問題は解決への糸口を消してしまい、混迷させる結果となった。

鈴木と音信不通になった事でA氏は代理人の平林弁護士との話し合いをせざるを得なくなった。仕方なくA氏は以前から面識のあった知人を介して代理人を立て、平林と折衝を始めることにした。代理人はまず、鈴木の近辺を調査し、行方を追跡するとともに鈴木の実父と接触し、鈴木が如何にA氏から援助を受けていながら裏切り行為を続けているかを説明した。代理人は、実父に鈴木を説得させてA氏と直接話し合わせようとした。鈴木の実父は以前に鈴木の意向で、西の会社に籍を置き月額60万円の給与を受け取っていた事もあり、鈴木がA氏に莫大な資金の支援を受けていた事も知っていた。自分や鈴木の妹が住む高級マンションもA氏からの融資で購入出来た事も多分知っていたのではないだろうか。そんな事もあり、実父は代理人に協力的な姿勢を見せながら「息子は恩知らずの悪党」だと言っていたようだ。代理人は父親と度々会いながら説得を続けたが、鈴木からの連絡は途絶えたままだった。代理人はトラブルの折衝事にも慣れていて裏社会の情報網にも精通していたようで海千山千の男だった。A氏はそんな代理人にかなりの調査料を払っていたようだ。代理人はA氏からの高額な手数料を目当てにしていたようだが、徐々にそれなりの成果を上げていた。そんな代理人が自分の情報網を駆使して鈴木の住まいを探し当てたのだった。代理人は鈴木の住むマンションのメールボックスにメモを投函するなどして鈴木からの連絡を待っていたが、ある日、自分の地元でもある伊東市内のパチンコ店の駐車場で何者かに襲われ瀕死の重傷を負うという事件が起きた。代理人によると「相手には殺意が感じられた」と警察の事情聴取で述べている。代理人は近くの病院に運ばれ一命を取り留めた。地元警察は、2人の男を「殺人未遂犯」として逮捕した。地元新聞によると犯人は関東最大の暴力団組織の稲川会系列の習志野一家の下部組織に属するヤクザだった。A氏の周囲の関係者たちが習志野一家について情報を収集した結果、鈴木の友人で鈴木の代理人だった青田と習志野一家のNo.2の楠野伸夫との繋がりが判明した。
これが何を意味するかは誰が考えても分かる事だ。この実行犯の背後関係を調べることで、青田、そして鈴木の関係も明らかになる筈であった。
しかし、事件発生直後、実行犯が所属していた組織の組長が入院中の代理人を見舞いつつ、「事件の黒幕を必ず明らかにして報告するから、何とか告訴を取り下げて欲しい」と示談を申し入れた。この面談は病院の病室で行われたために、これ以外の条件提示は代理人以外は知る由もない。代理人はA氏に一応の報告はしたが、独断で組長の示談申し入れに応じてしまった。おそらく組長から金銭的な話もあった事は想像できる。A氏は代理人の報告を聞き、鈴木を追い詰められるものだと期待しただろう。しかし、この組長はその後に別件で逮捕され収監されてしまった為に、代理人との示談で約束した事は反故にされる結果となった。代理人と組長の示談話の内容はそれ以上は不明だが、組長が別件で逮捕されることは予め決まっていた事ではないだろうか。そして、代理人が高額な示談金を受領したのも事実と思われる。示談が成立した為に警察が不介入となった事で「代理人殺人未遂事件」は闇の中に葬られた。

(写真:平林英昭弁護士。代理人襲撃事件の実行犯が所属する暴力団総長と複数回面談するなど、弁護士の倫理規定に反した言動を繰り返した)

ところが、この間に鈴木の代理人だった平林弁護士が習志野一家の総長と複数回面談していた事がA氏の周囲の関係者たちの調査で判明した。弁護士が暴力団組織の総長と面談する事など常識では考えられない。しかもA氏の代理人が襲われた時期にというタイミングは見逃せない。おそらく口止め依頼とそれに見合う謝礼金の交渉をしていたものと思われる。ただし、この事件は、A氏と鈴木の訴訟とは別件だったために、裁判では度外視されたが、鈴木の背後関係と人間性を知るには多いに参考になる事件だった。品田裁判長はこの事件に対して無視を貫き、鈴木の正体を暴こうとしなかった事が鈴木という非道悪辣な人間を増長させることになった。品田裁判長にとっては職務の怠慢であり、「正義と平等を旨とする」裁判官としてあるまじき事だ。

このようにして鈴木がA氏を裏切って隠匿した資金を自分の身を守るための「示談金」や「謝礼金」として悪用する事は常套手段だった。西も知人も、自分の金銭欲の為にA氏を平気で裏切るという許しがたい人間と言えるだろう。
A氏が鈴木の代理人平林で弁護士の要請で面談した話に戻す。平林弁護士は最初の面談の席で「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか。それであれば、鈴木は直ぐにも払うと言っています」と無神経な感覚で和解を提案した。それを聞いたA氏は「この弁護士と話し合っても無駄ではないか。全く誠意が感じられないし問題の経緯を理解できていない」と感じたようだった。A氏は「私がどれだけの金額を鈴木に騙されているか解っているのですか。こんな金額では話にならない」と即答した。すると平林は面談を打ち切り、その後は全てを否定して鈴木を正当化するようになった。交渉は平成19年春先に始まったが、直接会って協議をするのではなく、書面でのやり取りに終始したが、平林は最後には「それでは調停にかけるしかないですね」と言ったことから、A氏が調停の申請を進めたにもかかわらず、平林は調停が行われる日時に遅刻したり欠席したりで調停が流れてしまうという体たらくを冒している。これも予定の行動だったのだろう。平林弁護士に幻滅したA氏は、このままでは「埒が明かない」と考え、2015年(平成27年)7月8日に東京地方裁判所へ「貸金返還請求」の訴訟を提起した。この時、和解協議から9年の歳月が流れていた。A氏と鈴木の問題は法廷の場で決着をつけることになった。(以下次号)

隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(6)

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A氏は、鈴木が2通の手紙で「和解書」を白紙撤回し、平林弁護士と友人の青田を代理人に指名した事により鈴木と連絡が一切取れなくなったことから、平成27年7月に東京地方裁判所に「貸金返還請求」の訴訟を提訴した。請求金額は当初は25億円だったが、実際の貸付総額は28億2千万円(元金のみ)となっている。内訳は約束手形(13枚)合計金額16億9千万円、借用書(2枚)分3億8千万円、商品委託販売分7億4千万円だった。

(写真:平林英昭弁護士。代理人襲撃事件の実行犯が所属する暴力団総長と複数回面談するなど、弁護士の倫理規定に反した言動を繰り返した)

鈴木の代理人は交渉時の代理人の平林弁護士、そして親和銀行事件時の代理人であった長谷川幸雄弁護士だった。平林と長谷川は、エフアール名義の約束手形分約17億円と借用書分3億円は債務者がエフアールであり、鈴木個人ではないと主張し、商品販売委託分7億4千万円は実体のないものと主張した。さらに、短期間での莫大な手形融資(約17億円)についてもA氏の貸し方が経験則上、倫理上あり得ない事として求釈明を連発したのであった。A氏側弁護士は証拠書類を法廷に提出し、確信を持って貸付金が全て事実であると主張した。鈴木側には反対弁論を裏付ける証拠は皆無で、ただA氏側の弁護士の「揚げ足取り」や言いがかりに終始するという卑劣極まりない弁護方法で、いたずらに裁判を長引かせる戦法を取った。途中で裁判長が交代する事も影響してか、約2年半を経過しても裁判は結審しなかった。A氏側は訴訟内容に自信を持ち、早期に勝訴判決が出るものと考えていたが、遅々として進まない裁判に業を煮やして、当初の代理人弁護士が辞任する中で知人の紹介で新たに中本弁護士を代理人として起用した。そして中本弁護士の奮闘で裁判はA氏勝訴の方向に向かっていたように思えたが、裁判所は再度、裁判長を交代させ、品田幸男という裁判官を裁判長に就任させた。この裁判長交代が裁判の流れを大きく変える結果となった。

(写真:長谷川幸雄。裁判終結後に弁護士を廃業した)

後日の判決を検証すると、裁判長交代は裁判所の作為の下に行われたことが疑われる。何より品田裁判長が就任してから約半年で結審し、判決が下されることになったからだ。ところが、品田裁判長が下した判決は誤審を繰り返した挙句の誤判だった。裁判の焦点となっていた債権債務の額について品田裁判長は約束手形13枚分の約17億円と鈴木が親和銀行の逮捕前に借りた8000万円等を鈴木の借入金元本として認めたが、鈴木がエフアール名義で借りた3億円の借用書はエフアールの債務とし、貴金属宝石業界に対する知識と業界特有の慣習を全く理解できない品田裁判長は商品販売委託分の7億4千万円についても「経済的に不合理な取引」として鈴木の債務から除外してしまった。その結果、元本約19億円に利息等を加算してA氏の提起した貸金返還請求訴訟を何故か25億円で確定させてしまったが、特に詳細な計算を示したわけではなかった。
これは、A氏側にとって当然、納得できない判決であった。また、就任当初は鈴木側に鋭く切り込んで、一時はA氏の勝訴を確信させたように見えた中本弁護士だったが、ある時、鈴木の代理人の長谷川弁護士に法廷で裁判長が注意するほどの大声で恫喝をされてからは極端に切れ味が鈍り、オドオドとした弁護が目立つようになった事も、少なからず判決に影響したように思われる。これは老獪な長谷川弁護士の法廷戦略だったと思われる。そして品田裁判長の判決で示した25億円には明らかに鈴木一辺倒の姿勢が顕著に見られた。誰の目から見ても、考えられないようなコジツケの判断で、偏見だらけの判決には大きな不審を実感させた。
ここで、鈴木が実際にA氏に支払った金額を検証してみる。

(写真:鈴木が書いた15億円の借用書)

A氏が鈴木から受領した金銭は確かに合計25億円であった。しかし、その金額のうち、借金返済として鈴木がA氏に支払ったのは平成11年7月30日の5億円と平成14年12月24日の10憶円の合計15億円のみであった筈だ。そして、この15憶円も実際は鈴木が隠匿していた株取引の利益金を横領して支払った金だった。
平成14年6月当時、A氏の鈴木に対する貸付金は約40億円(年利15%で計算)になっていた。ただし、鈴木が平成9年10月15日に持参した3億円の借用書によれば、金利は年36%で遅延損害金は年40%になっており、それで計算すれば当時でも60億円以上になる。しかし、西が「社長、今後、株取引での配当金が大きくなるので、鈴木への貸付金残高を25億円に減額してやってくれませんか」とA氏に懇願した。平成11年7月30日に株取引の配当金5億円と2人から債務返済金として合計10億円を受け取っていたA氏は「今後は株配当金が増えていくだろう」と西の話を信用し、鈴木の債務残高40億円超を25億円に減額する事を承諾した。そして6月27日にA氏と鈴木、西が面談し、債権債務の整理をする意味で借用書を作成することになった。しかし当日、突然鈴木が「西さんに社長への返済金の一部10億円を渡しています」と言い出したのである。A氏は事前に西から何も聞いていない為に西に確認すると、西が鈴木に対し不服そうな顔を向けながら渋々認めたので、その場で鈴木が15億円、西が10億円の借用書を作成した。

(写真:西が書いた10億円の借用書)

この日、A氏は後日の為に公証役場の確定日付印を取っている。この時点で鈴木が西に渡したという10億円の問題の真偽は判明していないが、以前鈴木が「合意書破棄の報酬」として西に10億円を支払っており、金銭欲の深い鈴木は、その分をこの場で取り返そうと目論んだ事だと想像できる。西に反論する時を与えなかった鈴木の作戦勝ちであった。鈴木の悪知恵と悪党振りはこのように随所に見え隠れしているのだった。まして鈴木はこの15億円を「社長、この15億円を年内に持参しますので10億円に減額してくれませんか」と交渉して10億円で承諾させ、同年の12月24日にA氏に支払っている。平成11年7月30日の15億円は宝林株の利益配当分であって、全額がA氏への債務返済金ではなかったが、品田裁判長は15億円全額を鈴木の借入分返済額とし、この日の10億円と合わせて25億円を返済したものとしたのだった。これは明らかに辻褄合わせとしか言えない。そして、そもそも親和銀行事件で逮捕され、被告として公判中だった鈴木にそのような莫大な金額を支払える資力は無かったのは明らかだ。鈴木が株取引で上げた利益金を横領して支払う他に方法は無かった事は、A氏と出会った時からの経緯を検証すれば簡単に分かる事であった。しかし、品田裁判長は「合意書」に基づいた株取引に関わる経緯を全て無視して、25億円で「貸付金返還訴訟」を終結させた。これは明らかに故意的な「誤判」であって公正公平な判決とは言えない。つまり、品田裁判長には強引に裁判を終わらせなければならない理由があったと考えられる。
それは、「合意書」締結による株取引と和解協議による「和解書」の事実を認めると、この裁判は政界、経済界を巻き込む大事件へと発展し、警察、国税庁、財務省の職務怠慢が世間に知れることになり、世界中に恥を晒すことになるからではないだろうか。
その理由は、鈴木がA氏との約束を反故にし、株取引で上げた莫大な利益金を独り占めし、タックスヘイヴン地域(租税回避地域)に隠匿していたからだろう。
鈴木は、当初の宝林株相場から海外にダミー会社を準備し、そのダミー会社を経由して海外に違法送金を繰り返していた事は周知の事実であった。ネットニュース数社の記事によると鈴木がタックスヘイヴン地域に隠匿している金額は1000億円を超えるとみられる。平成18年の和解協議時に鈴木が獲得した利益金は470億円だったという事は、鈴木に取得株の売りを任されていた紀井氏の証言と法廷に提出された陳述書で判明しているが、品田裁判長は、この紀井氏の証言を完全に無視してしまった。「紀井氏は株式売買の詳細を知る立場に無かった人間」として切り捨てたのであった。これも品田裁判長の故意的な過ちの一つだった。和解協議から15年余りが経過している現在、タックスヘイヴン地域のプライベートバンクが提示する利回りを考えると、470億円の隠匿利益金が1000億円を優に超える額に達しているという推認はまんざら架空の数字ではない。
タックスヘイヴン地域に関しては「パナマ文書」が世界中を騒がせて以降、2003年(平成15年)のG20 (先進20ヵ国による国際経済会議)で脱税行為の具体的措置が講じられた。鈴木の行為が表沙汰になれば、日本は世界中から批判の的になり、間違いなく国の信用に関わる事態になる。裁判所はこの事を恐れ、鈴木の悪事を隠蔽したのではないか、という疑いは濃厚となる。品田裁判長は「誤審」を冒してでもこの裁判を終結させるよう裁判所の意向を受けていたのではないのか。これは決して妄想ではないほど判決がひどい過ちを冒しているのだ。品田裁判長の独断的な誤審誤判は、妄想を掻き立てるほど理不尽で不平等な裁判結果となった。
品田裁判長が「合意書」は「合理性を欠き、重要な個所の文章が曖昧」として無効にし、「和解協議」は鈴木の「心裡留保が原因」として無理矢理無効とした理由は、以上の事が起因していると思われる。
株取引を巡るA氏の被害額は、買支え資金で200億円を超え、西が書き残した鈴木から受け取るべき配当金を債権としてA氏に譲渡した額は137億円に上っていた。
一般には想像の範囲を遥かに超える金額ではあるが、A氏という個人資産家が鈴木と西という2人の詐欺師に騙され、裏切られた事は真実なのだ。この誤審裁判の重要な部分は次章で詳しく触れる。(以下次号)

隠匿資産1000億円超への悪牧欲望(8)

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インターネットニュース数社の記事による鈴木義彦の「1000億円の隠匿事件」を読んでどうしても気になる部分がある。それは「株式投資がそんなに儲かるものなのか」という事である。いかに資金があっても株式相場は「魔物」と言われるように必ず儲かるものではない。それにもかかわらず鈴木が仕掛けた銘柄の殆どが多額な利益を生み出している。A氏からの「買支え資金援助」というバックボーンがあったとしても「生き馬の目を抜く業界」と言われる証券業界で損失も出さずに生き残るには、誰もが考えつかないような手法があったのではないだろうか。鈴木がA氏に「私は、株式投資ではここ数年で20~30億円の授業料を払ってきた。株式投資には自信があります。」と言ってA氏から「買支え資金」を拠出させることに成功したが、それがA氏を騙すための詭弁であったことは、この事件の経緯と結果を見れば明らかだ。

(写真:鈴木義彦)

鈴木が親和銀行事件で逮捕されたのは1999年5月末であった。それより約2年前の1997年7月、証券業界で未曾有の大事件が勃発している。それは当時、日本4大証券会社の一角にあった山一證券の「自主廃業事件」だ。山一證券は世界同時株安以降、数年にわたり香港、シンガポールを始めとした海外各地の支店を拠点に、関連会社そして実体のないダミー会社を経由して「飛ばし」という手法で自社の損失を隠蔽していた。「飛ばし」とは、株取引で発生した損失を決算前に関連会社やダミー会社に付け替えて粉飾決算を行い、損失を隠蔽する行為である。また、山一證券は顧客離れを防ぐために「握り」という方法で売り上げを上げていたという。「握り」とは顧客の損失を補填する約定を交わす事である。この頃の証券業界は山一證券だけではなく野村證券、大和証券、日興証券の4大証券の全てが同様の事をしていた事が当時の新聞やテレビ等で報道されている。山一證券は一般個人顧客より法人顧客に重きを置き、大企業や大物政治家、大物総会屋に損失補填をしていた。当時の新聞によると山一證券の実質損失は自主廃業時には2800億円に達していたとみられる。一般個人投資家から「取り付け騒ぎ」が起るのも当然の現象であった。山一證券の自主廃業は国内だけでなく世界中を驚愕させた。鈴木はこの山一證券による「飛ばし」を参考にした、というより損失の隠蔽工作の渦中で工作に関わった茂庭進を引き入れることによって、「飛ばし」のノウハウを取り込んだのは明らかだった。
鈴木は株式投資のノウハウについては知識があったが、証券会社の実務の経験は無かった。そこで宝林株を売却するにあたって、旧知で現役の証券マンであった紀井氏を「儲け折半」という破格の条件でスカウトした。紀井氏は鈴木の証券業界での評判の悪さは知っていたが、他の証券マンと同様に金銭欲は旺盛だったために鈴木の甘言に乗ったと思われる。そして、山一證券事件も同じ業界の人間として承知していた筈だ。鈴木の狡猾なところは紀井氏にA氏との関係や株式取引に関する「合意書」の存在は話さなかった。紀井氏は、鈴木が仕込んだ株式の売却を任されていたために鈴木が調達した銘柄を全て把握していて、売却時の利益金の全ても知る立場にあった。ところが、紀井氏は西から香港で襲われたことを聞き、鈴木の性格からすれば「余りにも鈴木の秘密を知ってしまったために自分の身にも危険が及ぶ」という恐怖を覚え、鈴木との決別を実行したほどだった。一方で、鈴木は茂庭進という証券マンもスカウトし、スタッフに加えていた。前述したように、茂庭は元山一證券の海外拠点で幹部社員として籍を置き、山一證券の自主廃業まで海外取引を担当していた人間であった。

(写真:念書)

鈴木は、短期間にA氏から合計約28億円の資金援助を受け、不渡り寸前のFR社の約束手形を高利な金融会社から回収した。そして親和銀行事件で逮捕される3日前にA氏から現金8000万円と販売委託としてピンクダイヤとボナールの絵画を借り出し、一部を現金化していた(絵画はA氏に言い値の1億3000万円で買って貰いながら一度も持参しなかった)。これは、逮捕されることを知っていた鈴木が拘留中にA氏以外の債権者からの催促を逃れるための資金繰りだったことが窺える。逮捕、拘留中の鈴木は債権者からの催促を逃れ、社会にいるよりもゆっくりとした時間が過ごせたはずだ。鈴木には出所後の事を考える時間は充分あったと考えられる。鈴木は社会に復帰したら「株で一発当てる」手立てを考えていた。そして保釈後に西が宝林株800万株の買収話を持ちかけられるや、すかさず海外投資会社を偽装するダミー会社を3社用意するとともに、紀井と茂庭をスカウトすることで利益独占の準備を整えた。利益を無難に海外流出させるノウハウを実行させるには、山一證券での茂庭のノウハウがうってつけであり、そのうえで西と謀って性懲りもなくA氏に資金支援をさせて罠に嵌めることを計画したのだった。
鈴木は逮捕後、約半年で保釈された。そして、西との共謀によって宝林株購入資金3億円をA氏に援助させることに成功したことで、 利益独占を現実化させる準備が整ったのだった。鈴木にとって計画を実現するためには茂庭の存在は喉から手が出るほど欲しい人材であった。鈴木が茂庭にどのような条件を提示してスカウトしたかは定かではないが、紀井とほぼ同様か少なめの条件を約束していたのではないだろうか。
A氏には内緒にして紀井と茂庭をスタッフに加えた鈴木は、A氏の資金を利用して自分が描く株式投資を開始した。山一證券は「損失隠し」のために「飛ばし」を繰り返し自ら破綻したが、鈴木は「利益隠し」のために海外にペーパーカンパニーを設立し、売買利益はそれらのペーパーカンパニー名義で海外に違法送金している。鈴木は山一證券のノウハウを参考にして「利益金の飛ばし」をしていたに違いない。茂庭は山一の海外支店の幹部社員としてノウハウの全てに精通していたと思われる。鈴木にとっては強力な助っ人の役目を果たしていたと思われる。さらにもう一人、鈴木には強い味方がいた。その人物はファンドマネージャーをしていて、後に他の投資でトラブルを招いたクライアントに妻ともども殺害された霜見誠だ。霜見は鈴木が相場操作をして莫大な利益を得たFR社相場に参入していて、鈴木と知り合ったことで自身も「人生を変えるほど」の大きな利益を得た人間だった。霜見も職業柄ファンドの組成やタックスヘイヴン地域の事情には精通していた。鈴木は霜見の協力でスイスの隣国リヒテンシュタインにジャパンオポチュニティファンド(JOF)という投資会社を設立し、霜見をファンドマネージャーに据えて、A氏を裏切って隠匿していた利益約300億円の運用を任せた。このJOFの役員には鈴木の名前は無かったが、証券業界では鈴木が実質のオーナーだと言われていたようだ。霜見は鈴木の指示でクロニクル(FR社が社名変更した法人)の株を大量に購入し、JOFはクロニクルの大株主になった。霜見が鈴木の指示でクロニクルの株式に関与している事は当時のクロニクルの代表取締役(会長)で後に不審な死を遂げた天野裕(FR社の元常務)も承知していた。クロニクルの株式は第三者割当増資による新株発行とユーロ債の発行という、FR社と同様のインサイダーまがいの手法で株価を上げて行った。霜見は鈴木の指示で一部の株を残して高値でクロニクル株を売却し、売却益を海外のプライベートバンクに送金していた。このプライベートバンクについては、霜見が検察庁から別件で事情聴取を受ける予定だったとみられるが、検察庁に出頭する数日前に夫婦揃って投宿先のホテルから消息を断ち、その後に夫妻共々殺害された。ただし、JOFがクロニクルの増資以降にどのような動きをしたのか、その情報はなないまま鈴木が自然消滅させた可能性はある。また、クロニクルは2013年の中間決算の監査で「過去の不適切な会計処理」が発覚し、同年の7月17日付でジャスダック市場で上場廃止に追い込まれてしまった。鈴木が創業者だったFR社も、その後は天野が会長として指揮を執っていたクロニクルも毒牙にかけ、鈴木だけが莫大な利益を得ておきながら、会社を守って来た役員や社員、そしてその家族を不幸にしてしまったのだ。鈴木は血も涙もない、非情極まりない悪党だったのだ。

鈴木は、山一證券の手法を参考にしながら「利益金の飛ばし」を行い、プライベートバンクでの運用で1000億円を優に超えるとみわれる資金を隠匿している。しかし、忘れてならないのは茂庭という存在ではないだろうか。合意書に基づいた株取引を行っていた当時は、鈴木がA氏を裏切って隠匿していた利益金を海外のプライベートバンクのペーパーカンパニー名義の口座に送金をしていて隠匿資金の管理もしていたようだ。茂庭は鈴木の全てを知っている。いや知っていると言うよりも鈴木が海外にダミー会社を多数所有し、利益金を分散しながら「利益金の飛ばし」をして莫大な資産を隠匿する事に成功できたのは茂庭のアドバイスがあったからではないかと思われる。しかし、茂庭は何時しか姿を消し、紀井のように裁判所に証人として出頭する事もなく、鈴木の完全な黒子として動いてきた。考えすぎかもしれないが、茂庭の安否さえも心配になってくるほどだ。何故ならば、鈴木の周囲では以前から不可解な自殺や不審死が頻繁に起こっているからだ。鈴木の秘密を知っていた西、天野、大石(FRの元専務)そして霜見など、彼らの死には鈴木が関与していたという指摘がある。これらの事件は全て金銭トラブルが原因だった。そうみれば、茂庭の生存が確認されて協力が得られたならば、この事件は大逆転し、鈴木が世間の注目を浴びる日が必ず来るに違いないとさえ思われる。

鈴木はA氏との裁判で、借入金については品田裁判長の考えられない偏見と一方的な判断で25億円は返済した事になったが、これは株式投資で上げた利益金の流用であって、A氏への返済金ではなかった。しかも、品田裁判長は株取引についてA氏と西、鈴木の3者で交わした合意書と和解書を無効にしてしまい一切認めなかった。鈴木は利益分配を真面に実行せず、「自分の力量で稼いだもので合意書は関係ない」と主張している。しかし、A氏が融資した株式購入資金と買い支え資金の援助が無ければ鈴木の計画は成功しなかったことは誰が考えても分かる事だ。いくら鈴木が一般常識の通用しない人間だと言っても、余りにも自分勝手な所業だ。これは品田裁判長が「触らぬ神に祟りなし」とでも言うような、株式投資関連の主張や証言、そして証拠類を真面に審議も検証もせずにA氏側の主張を全て退けて、鈴木一辺倒の論理を貫いた為だった。品田裁判長の誤審誤判は重大な責任逃れだと言える。
宝林株に始まる20を超える銘柄の株取引で、鈴木が犯した詐欺横領、脱税、外為法違反等は全てが時効という法律の壁に阻まれて、鈴木を刑事事件で告訴告発するのは難しいかもしれない。A氏と鈴木の事件は2018年6月に下された誤判を再審で逆転判決を取るしかないと思われる。それには例えば茂庭のような新しい証人や証拠を裁判所に申請して再審請求を受理させるしかないだろう。そのためには、鈴木本人と茂庭の動静を見極めることも肝要だろう。鈴木の所在を見つけ出すことは並大抵の方法では難しいかもしれないが、それによって公の機関が動き出せば、品田裁判長や長谷川元弁護士等にも調査が及ぶ可能性が高いとみられる。
前章にも書いたように、この「誤審裁判」がなかなか社会問題に発展しないのは監督官庁の金融庁や警察庁、検察庁が黙過し、裁判所と弁護士会等の法曹界が協力して隠蔽しようとしているからだと断言できる。これを逆転するのは困難かもしれないが、監督官庁と法曹界の不祥事はこの問題に限らず、我々の知らないところで日常的に行われているのかもしれない。今は自分に関係ない事として無関心でいられるかも知れないが、いつ何時、自分や自分の親族に降りかかってくるかもしれないのだ。今現在もA氏と同じような被害者が多くいながら、裁判所や弁護士会の自己保身のせいで泣き寝入りさせられている可能性は高い。だからこそA氏と鈴木の問題は絶対に風化させてはならない。今後は、ネットニュースやYouTubeでの活発な情報提供はもちろんだが、鈴木本人と対決する方法を見出すことも重要ではないだろうか。(つづく)

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