益夫はアイチや富国開発など、名うての金融業者から頻繁に借り入れをし、また益夫が一番に懇意にしていた暴力団からも株投機ほかで資金調達をすると同時に毎月のようにみかじめ料を支払っている関係にあったが、益夫が服役中には暴力団関係者の取立に対応していたのは他ならぬ吉郎自身だった。それほど益夫の下で益夫の代行を務めていた吉郎が何の責任も果たさないというのは明らかにおかしい。
すでに病院の幹部も承知していたが、吉郎は毎月6000万円の機密費(裏金)を益夫に届けていた。もちろんこれは各病院の経理や財務を操作して作った裏金だから、各病院は毎月のように粉飾を強いられたことになる。明らかに吉郎には社会人としての節度やコンプライアンス感覚が全くないと言っても過言ではない。
また、3つの金融機関を巡る不正融資が表面化する中で、検察や警察、国税等に押収されては困る多くの書類を益夫が密かに隠しこもうとしたが、段ボール箱で13箱以上にもなる書類群が全て債権者の下に持ち込まれる事態が起きた。それに驚いた益夫が最も昵懇にしていた暴力団の「芳菱会」に取り戻しを依頼し、同組織の幹部が何度も債権者に脅しをかける事態が起きた。「書類を返さなければ、タマ取るぞ、殺すぞ」という言葉さえ何度も口に出して、執拗に電話を架けて来た幹部に、債権者は怯むことは無かったが、その後、同組織のトップが直接債権者の会社を一人で訪ねてくるようになった。応対したのは会社の管理職だったが、トップは自身が持病で余命があまりないことまで告げ、自分が生きている間は益夫に対しては静観して置いて欲しいと依頼した。トップは益夫が債権者には返済を滞らせていたことに腹を立てつつ、吉郎は益夫以上に悪質であると強調した。こうした経緯を踏まえて、債権者はしばらく様子を見ることにしたようだが、益夫はもちろん吉郎もまた、それをいいことにして債権者を蔑ろにし続けたのである。
吉郎の悪質さを象徴しているのが、益夫の死後、吉郎だけでなく安郎と益代の弟妹が揃って相続放棄の手続きを取ったことであった。確かに益夫のような波乱の生き方をしてきた人間の遺産を継げば、それこそ危険な状況に陥る可能性もあるかもしれないが、それよりも吉郎の念頭にあったのは、間違いなく債権者から逃れる手段だった。しかし、これほど非常識で無責任なことはない。吉郎がすべきことは最低でも債権者に会って父親の非礼を詫びることであり、さらに言えば、益夫が長年にわたって滞らせ続けた債務の返済処理について具体的な話を進めることにあったはずだ。ところが吉郎にはそんな考えは一切なかった。
吉郎と益代、そして安郎は今、都心の一等地にそびえる超高級マンションに暮らし、吉郎の長男佑人もまた家族とは別に同様の暮らしをしているが、その生活を支えているのが、債権者たちから騙し取った資金を使って病院グループを軌道に乗せた結果でもたらされたものであるという認識が全くないことには呆れ返るばかりだ。しかも吉郎は妻の実家が要職を占める常仁会傘下の白美会には他の医療法人よりも手厚い資金提供や医師、看護師等の人材を優先的に派遣するという独善的な差配をして、内部から顰蹙を買っているというし、また一部には、益夫の死後も機密費を作り続け、それで私腹を肥やしているという指摘もあるほどだが、もちろんこのまま吉郎の悪事が闇に埋もれることは決してないし、埋もれさせてはならないのである。(つづく)