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「病院グループは自分が創業した」と大ボラを吹く吉郎(3)

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益夫はアイチや富国開発など、名うての金融業者から頻繁に借り入れをし、また益夫が一番に懇意にしていた暴力団からも株投機ほかで資金調達をすると同時に毎月のようにみかじめ料を支払っている関係にあったが、益夫が服役中には暴力団関係者の取立に対応していたのは他ならぬ吉郎自身だった。それほど益夫の下で益夫の代行を務めていた吉郎が何の責任も果たさないというのは明らかにおかしい。
すでに病院の幹部も承知していたが、吉郎は毎月6000万円の機密費(裏金)を益夫に届けていた。もちろんこれは各病院の経理や財務を操作して作った裏金だから、各病院は毎月のように粉飾を強いられたことになる。明らかに吉郎には社会人としての節度やコンプライアンス感覚が全くないと言っても過言ではない。
また、3つの金融機関を巡る不正融資が表面化する中で、検察や警察、国税等に押収されては困る多くの書類を益夫が密かに隠しこもうとしたが、段ボール箱で13箱以上にもなる書類群が全て債権者の下に持ち込まれる事態が起きた。それに驚いた益夫が最も昵懇にしていた暴力団の「芳菱会」に取り戻しを依頼し、同組織の幹部が何度も債権者に脅しをかける事態が起きた。「書類を返さなければ、タマ取るぞ、殺すぞ」という言葉さえ何度も口に出して、執拗に電話を架けて来た幹部に、債権者は怯むことは無かったが、その後、同組織のトップが直接債権者の会社を一人で訪ねてくるようになった。応対したのは会社の管理職だったが、トップは自身が持病で余命があまりないことまで告げ、自分が生きている間は益夫に対しては静観して置いて欲しいと依頼した。トップは益夫が債権者には返済を滞らせていたことに腹を立てつつ、吉郎は益夫以上に悪質であると強調した。こうした経緯を踏まえて、債権者はしばらく様子を見ることにしたようだが、益夫はもちろん吉郎もまた、それをいいことにして債権者を蔑ろにし続けたのである。

吉郎の悪質さを象徴しているのが、益夫の死後、吉郎だけでなく安郎と益代の弟妹が揃って相続放棄の手続きを取ったことであった。確かに益夫のような波乱の生き方をしてきた人間の遺産を継げば、それこそ危険な状況に陥る可能性もあるかもしれないが、それよりも吉郎の念頭にあったのは、間違いなく債権者から逃れる手段だった。しかし、これほど非常識で無責任なことはない。吉郎がすべきことは最低でも債権者に会って父親の非礼を詫びることであり、さらに言えば、益夫が長年にわたって滞らせ続けた債務の返済処理について具体的な話を進めることにあったはずだ。ところが吉郎にはそんな考えは一切なかった。
吉郎と益代、そして安郎は今、都心の一等地にそびえる超高級マンションに暮らし、吉郎の長男佑人もまた家族とは別に同様の暮らしをしているが、その生活を支えているのが、債権者たちから騙し取った資金を使って病院グループを軌道に乗せた結果でもたらされたものであるという認識が全くないことには呆れ返るばかりだ。しかも吉郎は妻の実家が要職を占める常仁会傘下の白美会には他の医療法人よりも手厚い資金提供や医師、看護師等の人材を優先的に派遣するという独善的な差配をして、内部から顰蹙を買っているというし、また一部には、益夫の死後も機密費を作り続け、それで私腹を肥やしているという指摘もあるほどだが、もちろんこのまま吉郎の悪事が闇に埋もれることは決してないし、埋もれさせてはならないのである。(つづく)

隠匿資産1000億円超への飽くなき欲望(7)

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裁判には刑法違反を刑事裁判と民法違反を裁く民事裁判がある。刑事裁判は警察が容疑者を逮捕し、取り調べを行い状況証拠と物的証拠、そして容疑者本人の自白によって警察が検察庁に起訴する。起訴された事件は検察庁でも取り調べが行われ、その結果が法廷で裁判官が量刑を決定する。警察や検察庁の取り調べの過程で証拠捏造の様な違法捜査が行われたことを疑わせる証拠が発覚した場合は、非常に稀な事ではあるが「再審」が行われる。最近では「袴田事件」が世間を賑わしている。刑事事件はこの様に警察官と検察官が徹底的に捜査し、容疑者を犯人としてその罪に相応した懲役を裁判所に求刑する。
一方、民事裁判は被害者の提訴によって裁判が行われる。この場合、裁判官が訴状をよく読んで問題の背景と過程を正しく理解し、被害者、加害者の人間性も十分に加味したうえで「正義と平等」という原則を遵守して判決を下さなければならない。裁判官の個人的事情や無能力、偏見が判決を左右することが絶対にあってはならない。
しかし、複数のネット情報誌に掲載されている記事の内容を読む限りではA氏と鈴木の裁判には「正義と平等」の欠片も見ることが出来ない。
まず、この裁判は約28億円の「貸金返還請求訴訟」として始まった。前半の章でも書いたが、2人の出会いは、A氏と特別懇意な関係であり、長年にわたって資金援助を受けていた西義輝の紹介でA氏と鈴木の付き合いが始まった。
鈴木は当時、FRという上場会社の創業者であり代表取締役であったが「創業者利益」に狙いを付けて自社の株価を操作するために無理な資金繰りを重ね、FRの倒産と自己の破滅寸前の状況だった。鈴木は、「東京オークションハウス」という会社を経営し、マスコミにも取り上げられていた西とその背後関係に興味を持ち、接触を図った。鈴木は西を「会長」と呼んで有頂天にし、年齢が近い事と共通の話題である「株式投資」で意気投合したかのように見せかけながら、西と数回会ううちにFRが資金難に陥っている事を打ち明けた。実は西もA氏に相談が出来ない程の資金難に面していたのだった。西は、鈴木への援助をA氏に懇願し、援助を承諾させることで鈴木への融資金の一部を自分に迂回させる方法を思いついたのだろう。西は、自分の親しい知人に「俺は、日本一の詐欺師になろうと思っているが、A社長だけは騙せない。あんな大きな器量を持っている人には会った事もない」と言っていたが、結果的にA氏を窮地に追い込んだ原因の全てが西にあった。西は2010年(平成22年)2月に自殺しているが、一番の原因は鈴木に追い詰められ、鈴木によって自分の裏切りがA氏に暴露されることを恐れ、精神的に堪えられなかった為ではなかったかと想像する。遺書となった手紙にはA氏への謝罪の言葉が綿々と綴られていた。西は日記とメモにも鈴木との経緯の詳細を書き残していたが、裁判で品田裁判長の誤審誤判を覆せるまでには至らず、「死人に口なし」として無視されてしまった。自殺をするならば自分の悪行も全て書くべきだった。それを書く事で鈴木を追い詰め、少しでもA氏に恩返し出来たのではないだろうか。最後までA氏を裏切った西の自殺を「無駄死に」にしてはいけない。しかし、自殺という西の背信によってA氏と鈴木の裁判はA氏の敗訴となり、品田裁判長の「誤審誤判」を成立させる原因になった事は否めないだろう。
それにしても品田裁判長の「誤審誤判」は明らかに法に対する冒涜行為ではないか。事件の背景も経緯も全く理解せず、この事件の舞台となる証券業界、宝石貴金属業界の慣習というものを全く無視して、株式投資に関する「合意書」を無効とし、宝石、高級時計の販売委託取引を「価格が経済的に不合理」として認めず、A氏側の主張を全て却下している。裁判所組織の腐敗を象徴するように、自分の出世を優先して上司の指示に無条件で従い、偏見と無能力という姿を露呈させながら平然と誤審判決を下している品田裁判長を「再審」という形で責任を追及していくべきだ。これは、A氏と鈴木の裁判だけとして見逃してしまっていいものではない。
裁判所の重職を務めながら中途退官した元エリート裁判官の瀬木比呂志氏の著書によると、「裁判所組織は明治時代からの上意下達の慣習が現在も幅を利かせ、上司の顔色を窺う「ヒラメ判事」が大勢を占め、「正義と平等」の精神は忘れ去られ、優秀な裁判官が減少し、目を覆うばかりの腐敗組織に成り下がっている」と書かれている。これが現状の裁判所組織なのだろう。このような裁判所の腐敗からくる裁判官の慢心と暴挙をこのままにしておくと「正義と平等」は歪められ、泣き寝入りしなければならない被害者が増え続ける事になる。正に、A氏と鈴木の裁判は現在の裁判所を如実に表しているのではないだろうか。我々民間人はこの様な裁判所を絶対に赦してはならない。(以下次号)

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